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第2話第4話

第3話『日曜日の港町』

 この回の感想を書く前に、ちょっと余談を。

 4/9(火)発売のSPA!に『ジャパニメーション考古学』という記事が載ってまして、これがなかなか面白かったです。ライターのアニメ知識は豊富ですし、記事の視点は客観的です。以前『コミックボックス』手塚治虫追悼号に掲載された、宮崎駿の『手塚治虫悪玉論』とも言える暴論の悪影響を受けずに、冷静な視点でにシンプルにまとめていて、読む価値のある記事でした。

 余談の余談で恐縮ですが、宮崎駿はそろそろ自身の影響力を鑑みて、発言に注意するべきでしょう。まぁ、手塚治虫が亡くなられた時は、アニメ界以外にそれ程の影響力を与える事はありませんでしたが、現在は違います。金熊賞受賞インタビューで、庵野秀明の発言を取り上げての、今の若い世代の根拠の無い批判は、有害以外の何者でもありません。どこが”コピーのコピー”なのか、説明して貰いたいですね。どうせ詭弁で答えるでしょうから、全く聞く価値はありませんが…

 今月のアニメージュ(5月号)では、そんな宮崎の発言を受けて特集を組んでいます。『緊急特集、日本のアニメーションはどこに向かっているのか?』と銘打って。何をやっているんだか… その中で、こんな事で騒ぐ事の愚かさを指摘している、谷口悟朗氏の発言は面白かったですね。

 アニメ業界人を指して、『クリエイターだなんて恥ずかしい言葉を言ったり言われたりしているうちに、芸術家気分になっちゃうんでしょうかね。』とか、芸術扱いされる事でパワーを失う事を指して、『その意味では、宮崎監督の発言ひとつに、こんな形でガタガタ騒ぐのも、本当はみっともないと思うんです。』『「アニメージュ」でこういう特集をする事自体、雑誌の体質に芸術指向があるようで危ないし、ついでに参加しなければいけない私自身も馬鹿で愚かです。』となかなか痛快です。

 作り手の声が聞こえる記事作りという点で、決してアニメージュは嫌いではありません。実際、面白い記事も多いです。 しかし、芸術家気取りの、見るからに痛い”ドキュン”を生んでいる側面もあるので、何とかして欲しいとも思います。最近のDQNでは、劇場版『ターンAガンダム』の富野由悠季と菅野よう子の対談でして、この時の菅野よう子は激痛でした。

 話しをSPA!に戻しまして、記事の中で『母をたずねて三千里』が紹介されていました。著作権的に問題あるかもしれませんが、その全文を紹介したいと思います。もしかしたら、後日削除するかもしれませんが…

 結局、アニメは、高畑勲の手のひらの上で踊っているだけではないか。そう思う時がある。宮崎駿も押井守も富野由悠季も、本人が認める認めないは別として、それ程高畑勲の影響下にある−はずだ。その高畑勲の最高傑作が『三千里』である。ナレーションを全く排し、淡々と登場人物をカメラに収め、なおドラマとして組み立てる。それがいかに困難な事か!実写ですら困難な課題に、アニメで挑戦し勝利した無二の記録である。

 こんな記事を紹介すると、”高畑勲マンセー、逝ってよし” とか2chに書かれそうであるが、まぁ、私が”高畑マンセー”なのは事実なのだから仕方がない。(笑)いや、そうではなくて、このライターは各監督の発言を、良く知っていると思ったのです。”認める認めないは別にして”と書いていますが、宮崎、押井、富野の3氏は、高畑勲からの影響を公言しております。

 宮崎は、モロに影響を受けたと言ってます。
 押井は演出的に最も影響を受けた作品として『赤毛のアン』を挙げてます。
 富野はズバリ尊敬している筈です。

 まぁ、読者の反発を買わないために、分かっていながらトーンを弱めたんだろうなと、私は思います。なんにしても、まだ書店やコンビニに置いてあるかもしれませんので、気が向かれたら読むのもよろしいかと思います。

 さて、それで感想に戻りましょう。この回は、前の1話2話に比べ、更にストーリーが無いです。(笑)家族で海に行くのですが、その前にマルコがアルバイトをする。ただそれだけです。でも、さり気ないエピソードで見せるてくれるのです。

図1、ちゃんとドアを閉めるマルコ、よい子だなぁ… 冒頭の兄弟喧嘩は、いかにもな雰囲気があります。私が男兄弟だから判るのですが、あんな感じです。見ていて少々うざったくなりました。(笑)

 しかも、喧嘩をしていてトニオを追っかけるマルコなのですが、最後なのでちゃんとドアを閉める芸の細かさ。(図1)ドアの閉め忘れは、結構アニメでは多く見られますし、良い子に設定されている子がやる事も珍しくないですから、こういう描写がちゃんとあるのは気持ちが良いですね。

 教会での礼拝が終わり、船会社で働いているジーナが登場しますが、このシーンでのジーナとの大人の会話が実に良い。トニオとの挨拶も、家の中では子供っぽくマルコと兄弟喧嘩をするトニオですが、このシーンでは大人っぽさを見せてくれます。(図2)

 そして、その後のピエトロとの会話は、更にきちんと大人の会話になっていて、こういうシーンをきちんと作られているのは大変嬉しいです。今でこそ、大人がアニメを観る事は普通になりましたが、この作品の放映時には、一部の例外を除き、子供しか観ませんし、高畑監督もそれは承知でいたでしょう。

図2、ちゃんと帽子を脱いで挨拶をするトニオ、大人っぽさを見せてくれます 勿論、こんなところをちゃんと作っても、子供があまり理解するとは思いません。あまり印象に残らないでしょう。しかし、そうであっても、決しておざなりにせず、きちんと作られています。例え子供に意味が通じなくても、こういうシーンをちゃんと作る事が、作品の厚みを子供に感じてもらえるという確信が、高畑監督にはあったのではないでしょうか?

 いや、あまり子供に向けて作るというのを意識してなかったのが、正解かな?この当時から、大人向け作品を作りたいという気持ちが、強くあったのでしょうね。

 このシーンとの悪い比較で、ファンの方の怒りを買いそうですが、最近まで放映されていたアニメ『コメットさん』の最終回は、その点が残念でした。コメットがお世話になった藤吉家を去るシーンで、彼女の両親が迎えに来るのですが、藤吉家の玄関で藤吉夫妻と対面します。その時に、本来の大人同士なら交わされるであろう、大人同士の会話は全くされませんでした。

 その所為で、人の気持ちをいつも丁寧に描いていたこのアニメらしからぬ、軽い印象のシーンになってしまっていると思います。私はこのアニメが大好きですが、最終回だけは好きになれなかったです。(でも、他の話しは大好きです、DVDを買うくらい…)

 その後、ジーナに頼まれた手紙の配達をマルコをするのですが、手紙を届けられた人々のそれぞれの人間模様がまた楽しい。

 1件目の金持ちの家の召使いの、あまりにも丁寧な対応。家族との海水浴を、早く楽しみたいマルコの急いた気持ちとのコントラストがユーモラスです。

 2件目で、いきなり5階というのがまた面白い。マルコの苦労を考えると、苦笑いしてしまいますね。

 3件目のパスタ工場の親父も良い味出しています。マルコの話しをろくに聞こうともしない、マルコが質問しているにも関わらず、手紙の封を切る、いかにも肉体労働者のぶっきらぼうさが、良く表現されています。こんな、本当にどうでも良いようなキャラクターがちゃんと設計され、かつ表現されている事には、驚きの念を禁じ得ません。

 4件目の男の人なつっこさ。更には、扉から垣間見える彼の家族の生活の雰囲気も、また良い味出ています。

 マルコを海で待つピエトロとトニオのシーンでは、後の回で更に強く表現される、ピエトロの力強い決意が表現されています。優しく穏やかな風貌に似合わず、非常に男臭く逞しい人間であるピエトロ。こういうキャラクターが、今のアニメに本当に少なくなってしまったのは、本当に残念だと思います。

図3、アメデオをマルコに託すトニオ、爽やかさが胸を打ちます 最後になりますが、この回最大の名シーン。夕焼け空をバックに、去っていくトニオが実に爽やかです。寂しい思いをしているだろう母の気持ちに思いをはせるマルコに、気を使いアメデオを託すトニオ。(図3)海のシーンでも見られる、マルコへの優しさが、それとなく染み出ている、非常に素晴らしいシーンです。夕焼けのライティングによって、視覚的にも美しいシーンとなっています。

 今回は三千里よりも、他の話しが多くなってしまいましたね。(笑)申し訳ないです。ちなみに私は、2chはROMオンリーです。(藁

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