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この作品の最重要キャラクター、ペッピーノ一座が初登場する第4話ですが、この回では、まぁ顔見せ程度と言ったところです。彼等とアルゼンチンへの旅をするという伏線は張られてる位ですか…でも、アメデオとジュリエッタは、可愛くて楽しいですが。(図1)
それにしても、改めて観て思いますが、ペッピーノ一座の演目って、非常に質が悪いと思うのは私だけでしょうか?(笑)女の気を引くために狂言自殺を演じる男、そんな男の思惑を無視し、トドメを刺して殺してしまうのですから。まさしく、『げに恐ろしきは女の執念』であります。こんな物が面白いのでしょうか、イタリア人という人種は…(爆)
それはともかく、この回では子供の描写が、素晴らしいです。アニメは元々は子供向けの映像です。とはいえ、当然作っているのは大人。で、大人が子供を描くと、普通は子供の時感じていた事を忘れてしまってますから、大抵は本物の子供は描けません。殆どの場合、大人がこうあって欲しい子供像か、物語を進めるために都合の良い物になりがちです。
高畑監督も、『アルプスの少女ハイジ』で、大人に都合の良い子供像を描いた事を反省する弁を、述べていたりもします。(それでも、素晴らしい描写をしているんですけどね)ちなみに、大人に都合の良い子供はハイジだけで、ペーターとか村の子供達などはリアルな描写だと思いますが…
子供描写の上手さという点で、月曜の読売新聞朝刊に『あゆみ?』という4コマ漫画を連載しているおかべりかを、私は高く評価していて、彼女の単行本を何冊か持っています。この人の場合は、子供の時の気持ちを、そのまま覚えている希有な人で、実に実在感のある子供を描いています。
高畑監督が描く、このシーンでの子供は、彼女とは全く違うアプローチでしょう。彼のやり方、ロジカルな分析による表現です。そのやり方で、いわゆる悪ガキを描いているのですが、これが凄くリアル。本当に、どうしようもない、クソむかつく悪ガキどもです。まず、エミリオの弟ベルナルドの虐めのシーンが、凄くリアル。基本的には言葉虐めの世界ですが、人の欠点(この場合は貧乏)を挙げ連ねて、言い返すベルナルドの言葉の揚げ足をとる。そして、散々罵った後に、はやし立てる。いやはや、実に嫌なガキどもです。(図2)その中に、マルコの隣の席の ドメンコもいて、始業前にマルコに睨まれるのも、芸が細かくて良いです。
ドラマに登場する悪役は2種類いて、悪の魅力で受け手側に好かれる者と、ただ単に嫌なやつで嫌われる者です。ここでは勿論後者でして、高畑監督の作品に登場する悪役は、大抵がこれです。もっとも、高畑作品に悪役が出てくる事は、非常に珍しいですが…ただ、三千里は悪役が比較的沢山出てくる、それこそ珍しい作品です。
話しは逸れますが、高畑作品の悪役について少し語りたいと思います。高畑監督は、三千里の前の名作劇場の『フランダースの犬』を批判しています。何と言ったかは正確には覚えていませんが、その理由の一つに、悪役がただ主人公を虐めるためにだけ存在している、と言うような事を言っていたと思います。恐らくは、ドラマの進行上のためだけ、ただ観客に主人公に同情してもらうだけのキャラクターである事を批判しているのだと思います。
作り手の立場の人間が、同じ作り手に対し、このような発言をする事の是非は取りあえず置きましょう。私も、あまり感心できる態度ではないと思う事もあります。しかし、この作品における、高畑監督の悪人描写の上手さは、言うだけの事があるの事を示しているのも、また事実です。
本当に、ただの嫌なやつ。ただ単に、性格がいびつなだけ。
そんなキャラクターを、客観的に、思い入れを込めずに、的確に表現しています。良い奴を描く時と、スタンスは同じです。面白いと思いますね、こんなに理論的な表現方法をする人って、かなり珍しいのではないでしょうか?
この後のシーンでも、悪ガキどもの悪さは続きます。マルコが学校に帰るまでの鬼ごっこも、実に感じがでしてます。待ち伏せの雰囲気とか、挟み撃ちの雰囲気とか、いかにもという感じです。市場で買い物を済ませたマルコに絡む感じも、実にリアル。観ていて、ムカムカしてしょうがありません。(笑)
マルコとの喧嘩もいい感じです。特に、マルコに噛みつかれて、血が出た所為でいきなりビビリが入るところが特に。(図3)そのくせ、捨て台詞だけは威勢が良いのが、またリアル。この喧嘩のシーンでは、そうそう、子供の時は、血が出るって事は特別な事だったなぁ、と懐かしく思い出してしまいますね。
この悪ガキが、マルコの魅力を引き立たせる物になってます。ベルナルドを庇う優しさと正義感。相手が自分より大きく、人数も多いのにもかかわらず、全くひるまない勝ち気な性格。卵が割れてしょげていたのに、良い事(この場合は仕事が見つかりそうになる)があると、スパッと切り替えられる逞しさ。
魅力的なキャラクターが沢山出てくるというか、魅力的なキャラクターだけが有象無象に出てくるとも言えるこの作品の中で、決してサブキャラに負けない、マルコというキャラクターとしての強さが、存分に出ています。高畑監督は、マルコをかわいげのないキャラクターと言っていますが、これら一連のシーンの中では実に痛快なキャラクターになっています。別のシーンでは、あまりの意固地さに腹が立つ事もありますが…(笑)
さて、この回最大の名シーンは、マルコとピエトロの、親子のやりとりですね。子供であるマルコと、親であるピエトロ、お互いがお互いにとって当然の態度をとっていて、であるからこそ意識の食い違いが、手に取るように分かる名シーンです。マルコの怪我を心配するピエトロと、何でも無い態度をとるマルコ。建具屋の仕事を、希望を持って話すマルコと、まともに取り合わず、子供扱いするピエトロ。
マルコはそんな苛々がつのり、特に”子供”という言葉に過敏に反応し、ついには感情を爆発させてしまいます。(図4)ここで観客は、悪ガキ達の心ない言葉が、マルコを深く傷つけていた事を知ります。マルコの一言一言が、何の事をさしているのか、そしてそれがどれほどの痛みをマルコにもたらしていたのかが、ありありと伝わってくるのです。
ピエトロはそんな素っ頓狂なマルコの言葉を、当然の事ながら理解できません。しかし、全てを知っている観客から観れば、マルコを理解できないピエトロをもどかしくも思います。しかし、ピエトロが理解出来るはずもない事を、それもまた当然であると認識するのです。
このシーンで、観客の心の中に起きる感情は、実に複雑です。この深み、この素晴らしさ。三千里の人間ドラマとしての奥深さに圧倒されます。
ちなみに、裏名シーンも挙げましょう。(爆)悪ガキに買い物かごを蹴っ飛ばされて、高かった玉子が割れてしまし、それを寂しげに拾い上げるマルコの姿が、実に痛々しい。黙々とジャガイモを拾うマルコも、また痛い…音楽もはまっていて、このシーンの雰囲気を大いに盛り上げています。なかなか強烈なシーンで、こういう事をやっているから、話数が進むにつれ視聴率が落ちていったのでしょう。(爆)
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