| 爽やかな第7話の後は、タイトルの明るい雰囲気とは大きく異なる、またまたえぐい話し(笑)。『ゆかいなペッピーノ一座』というよりも『おめでたいペッピーノ』と言った方が正解でしょう(爆)。こんな親父ですから、女房に逃げられるのも、当然といえば当然ですな。ただ、娘3人を置いていったところを考えると、まぁ、ろくな女ではなさそうですけどね。そう考えると、ペッピーノ一座の演目に登場する、男を踏んづけていく女性像は、女房に裏切られたペッピーノの怨念が生み出したのかもしれませんね。(笑) さてさて、この回は引っ越した新しい部屋で、マルコが目覚めるシーンで始まりますが、この描写を見る限りでは、ロッシファミリーが引っ越してからしばらく日にちが経っているようです。しかし、観客はこの家での彼等の生活を観るのは初めてです。ですから観客にとっては、引っ越しをして初めての朝を迎えるような、独特の新鮮な感じを体験する事になります。これも家の内部描写が、非常に優れているからでしょう。家の内部の設計は、アニメ誌等に掲載される設定書を見れば、最近の作品であれば、大抵の作品で行われている事は判りますが、それがこれほど生かされている作品は、ましてやTVアニメでとなると、あまり見かけないと思います。 それらの設定は宮崎駿が行っていて、また全シーンのレイアウトの担当も宮崎駿。設計した人間が実作業を行うという理想的なというよりも、呆れるほど贅沢な作り方をしています。更に言えば、その担当者が、日本アニメ史上と言うより、アニメーション史上燦然と輝く天才アニメーターなのですから、贅沢を越えて常軌を逸していると言っても過言ではないでしょう。 高畑マンセーの私ですから、高畑監督を世界一のアニメ監督と呼ぶのは当然です。また、これに同意される方も、そこそこいるとは思います。しかし、人の好みはそれぞれですから、むしろ同意しない人の方が多いでしょう。ただ、スタッフに恵まれた、という点に於いては、多くの人が同意してくれるのではないかと思います。高畑アニメの凄さは、勿論作品の内容も凄いのですが、スタッフロールもまた凄いです。はっきり言いまして、天才と巨匠だけで作品を作っていると言っても過言ではありません。ガンダムシリーズの巨匠、富野由悠季が叩き台の為の絵コンテを書いている事からも、その凄さはおわかり頂けるでしょう。ちょっと可哀想な役回りだと思いますが(笑)。 冒頭のこのシーンも、椋尾篁美術監督の素晴らしい仕事が、宮崎駿のレイアウトを実に生かしています。狭い部屋に生活感が溢れています。コンロで沸騰するお湯が、また良い感じです(図1)。むしろ狭い方が、生活感が出やすいのかもしれませんね。ちなみにこの狭い部屋、という感じが高畑作品で一番良く出ているのは、『火垂るの墓』だと思います。日本家屋独特の狭さが、非常に良く表現されていたと思います。畳の匂いすら感じました。狭い部屋で思い出しますが、私が中学生の頃、親が家を建て替えまして、その間狭い借家住まいでした。初めはその狭さにウンザリしましたが、所詮は子供なのですぐに慣れました。新築の家では、子供部屋を用意してくれていましたが、勿論プライベート空間は嬉しかったのですが、狭い家も子供的にはむしろ楽しい部分があったのではないかと思います。といいますか、むしろ健全なのかもしれないですね。引きこもりなんて絶対に出来ませんから(笑)。さて、今回もドラマ的には、相変わらず大人アニメの雰囲気が存分に漂っています。まずは、次回ではえらい事になってしまう、ジロッティの話しです。張り切るマルコですが、急にビンの注文が無くなり、マルコの仕事が無い事を、ジロッティに告げられます。これは次回、『カルピスこども劇場』の”こども”って一体なんだよ、と突っ込みを入れたくなるハードな展開の伏線です(笑)。いや、マジでハードです。それについては次回のコラムで書くとして、このシーンでのマルコとジロッティのやり取りが、なかなか面白い。 アルゼンチンへの移民に対して、馬鹿にしたような態度で反対するジロッティの、愛国親父っぷりが日本の右翼親父っぽくて良いです。『イタリア人にはイタリアが一番』というジロッティが、また味わい深いですね。さすがは、その後同じく愛国主義の日本、ドイツと同盟を組むお国柄というところでしょうか(笑)。それと、マルコが働く理由であるアルゼンチンにいる母親の話しを、ジロッティは初めて聞きますが、この時に彼の見せる声の演技と表情の演技が、また良い。幼い少年の、このような辛い身の上話を聞かされた時の大人の心に生まれる感情が、見事に表現されています。この後の旅のドラマで、マルコを助ける大人達は、皆この時のジロッティと同じ感情を持ったのでしょう。マルコへの同情を見せるジロッティですが、この後アメデオの所為でビンが割れそうになった時の、マルコへの責任を求める態度が、仕事の厳しさを伝えていて、実に三千里らしくて良いですね。 さてさて、サブタイトルにもあり、冒頭でも書いた、『おめでたいペッピーノ』です(笑)。アメデオのおかげでペッピーノ一座が珍しく人気を博します。アメデオとコンチエッタのコンビが楽しく、この時のコンチエッタのダンスのアニメートがなかなかです。ですが、私は日本のアニメのダンスシーンは、南家こうじ以前と、南家こうじ以後で、革命的に変わったと思ってますので、明らかに南家こうじ以前の作品である三千里では、この時期にしては、という枕詞がどうしても付いてしまいますね。でも、くるくる回るコンチエッタは、なかなか魅力的です(図2)。ちなみにこの回は、アメデオのエンターテイナーデビューですが、このアメデオの特技が今後非常に重要な意味を持ちます。世界名作劇場のシリーズは、ペットの出てくる話しが非常に多いのですが、ドラマに関わらせる事で、単なるペットに終わっていないところが、実に素晴らしい。大受けに気をよくし、ご機嫌なペッピーノ。ですが、この親父、機嫌が良く調子が良くなると、大抵ろくな事をしません(笑)。マルコを食事に誘い、アメデオを釣る為に、あの手この手で調子の良い事を言います。まるでペテン師(爆)。大人の観客は、ペッピーノのあまりの調子の良さに笑うしかありません。この酔っぱらい描写が実にリアルで、身に覚えのある人も大勢いるでしょう。って私もそうですが(笑)。高畑監督はお酒を飲まないそうなのですが、宴席などで、酔っぱらう仲間を冷静に観察していたのかもしれませんね(笑)。 夜遅くまで、マルコを引き留めていたペッピーノですが、その所為で深夜の帰宅になったマルコを、ピエトロがとがめます。と言いますか、ピエトロが怒ったのを始めてみました。ここでの親子の会話が実に良い。『お前のような子供を親に知らせもせず、こんな遅くまで引きずり回す男を、誰が信用するんだ』というピエトロの正論は、全く持って正しい。この時点でピエトロが得ている情報からすれば、マルコが会っていたペッピーノという人物は、当然信用の出来ない男に相違がありません。『会わんでも判る』は大人ならば当然の判断で、親ともなれば当然の反応です。しかし子供のマルコは世間を知りませんから、それが判らない。このマルコの無理解を見ていると、正直子供の頃を思い出します。親の言う事が、どうしても理解出来ませんでしたねぇ。 ただ私と違うのは、私の父に比べると、ピエトロは子供の言う事に耳を傾けるという事でしょうか(笑)。いくら大切な仕事の為とはいえ、家族に大変な苦労をかけていると思っているピエトロは、マルコの勝ち気の性格もあり、あっさり形成が逆転してしまいます(笑)。この息子に手を焼く感じが、実にらしい。ただ、職業に貴賤は無いと言いますが、ジロッティには悪いのですが、やはりマルコがやっているビン洗いの仕事と比べれば、ピエトロの仕事はそんじょそこらの仕事とは違います。マルコが言うような『みんなを踏みつけにする仕事』等では無いどころか、全くの正反対なのです。しかし、ピエトロは持ち前の謙虚さからそれをマルコに言いはしません。こういうピエトロの性格が、私は非常に好きです。そしてこの台詞は、次回への伏線になっています。 さて、今回最大の名シーンは、少しシーンを遡って、かつての自分の家を訪れるマルコですね。アメデオを探し、カタリナの家を訪れるマルコですが、ここでかつて自分が住んでいた家を訪れます。新しい引っ越し先が、既に人間の生活する空間になっているのに比べ、誰も住んでいないその部屋は、人の息吹を全く感じない物になっています。そこでマルコは、母親との思い出に浸るのですが、普通はここで回想シーンの映像を入れるのでしょうが、技有りの演出が楽しめます。まずは、映像は現実の空っぽの部屋のまま、音だけを思い出すのです(図3) アンナの声、アンナの足音、食器の音、そしてカメラは見えないアンナを追っていきます。音の演出をたっぷりやった後、マルコの思い出が映像となって現れます(図4)。これがですね、素晴らしいんですよ。まさしく名シーン。ただ、扉を開けてかつての家に入るマルコを見送る時のカタリナの台詞は、いらなかったような気がします。表情の演技だけで、カタリナが何を思っているのかが明確に伝わりますから。『アルプスの少女ハイジ』のナレーション同様、蛇足だと思います。 次回は、三千里前半の中でも、ハイライトといも言うべき、『ごめんなさいおとうさん』です。これはいい話ですよ〜 |
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