| 初っぱなから言い訳になってしまい恐縮ですが、今回のコラムは、あんまり自信がないです。今週は出張が二日もあり、更に悪い事に風邪をひいてしまったのです。少しとは言え、楽しみにしてくれる方がいらっしゃるのに、大変申し訳ありませんが、今回はご容赦下さい。 勿論、今週はお休みして次回、という考え方もありますが、あんまり好きではありませんので。よくゲームクリエイターとか呼ばれる人達が、『納得いく作品にする為、発売を延期します』とか言ってますが、彼等のこういう姿勢が私は大嫌いなのです。ちなみに、自身をクリエイターと称するところも、大嫌いです。期日を守る事、これも作品の質の1つである事を、何故彼等は気付かないのでしょうか?って、えらそうな事を言いましたが、こんな事言うと、自分の首を絞めるので、そろそろ止めます(笑)。 まず冒頭です、下校中のマルコの描写に続いて、市場での買い物のシーンに繋がります。前回までのマルコは、苛立っていましたので、ヘビーな話しが続いていましたが、久しぶりのほのぼのした描写を楽しめます。音楽も軽快なワルツで、リコーダーの音が気持ちいい。アンナの写真にキスをする描写。財布を忘れて取りに戻る描写。キチンとドアを閉める描写。それらが細かく、高畑監督特有の生活感描写が気持ちいいシーンですが、一番芸細で好きなのは、服を脱ぐ時袖が裏返ってしまい『おやっ?』という表情になるマルコですね(図1)。いや本当に細かい、こういう人間らしい仕草の積み重ねが、紙に描かれた絵に過ぎないキャラクターに、血を通わせるのでしょう。ところがほのぼのもここまで(笑)。この後は、三千里らしいハードな展開が待っています。とはいえ、今回のはそれ程激しくありませんが。収入が得られない為、コンチエッタが風邪をひいているにもかかわらず、ペッピーノは無理に公演を行おうとします。しかし弱り目に祟り目、雨に降られてしまい、治りかけのコンチエッタの風邪も、更に重くなってしまいます。今の私には、風邪の苦しさは非常に良く判ります。なんたる偶然(笑)。 この回のペッピーノ一座の演目は、イタリア統一の英雄、ジュゼッペ・ガリバルディの英雄譚。イタリア人は、今でも学校で習うのでしょうか?だとしたら羨ましいです。ところでこのガリバルディ、ネットでちょいと調べましたが、人形の顔も似ています。ペッピーノ一座の演目の中では、私の好きな部類に入りますね。こういうエピソードがさり気なくはいるところが、さすがアニメ界一のインテリ(多分)高畑勲。天安門事件の所為でお流れになってしまった企画、満州を舞台にした『国境』も観たかったですね。この演目のガリバルディの人形の服装と、コンチエッタの衣装が同じです。ペッピーノ一座の演目は、人形劇をやった後に、手回しオルガンの音楽に合わせて、コンチエッタが歌い踊るという構成です。いつもはスカートをヒラヒラさせて、華麗に歌い踊るコンチエッタですが、衣装と軍人の英雄譚という人形劇の内容から、コンチエッタの歌と踊りは、それとは違う物であろうと推測できます。この時のコンチエッタの衣装が、なかなか魅力的な物でしたので、ガリバルディに扮したコンチエッタの踊りは、是非とも観たかった。残念ながら最終回まで、この演目が演じられる事はありませんでしたが。 雨に降られては、大道芸人は何も出来ません。仕方なく家に帰るペッピーノ達ですが、実はペッピーノも風邪をひいて熱がある事が判ります。ここで、ペッピーノ節が炸裂します(笑)。水を張ったタライに足を突っ込み、頭に人参を巻いて歌い踊るペッピーノの馬鹿馬鹿しさ。実にペッピーノらしくて良い。ただここではちょっと渋く、ペッピーノの足元にいるジュリエッタに注目したいと思います。ジュリエッタはアメデオが大のお気に入りですが、アメデオをぬいぐるみのように抱きしめるジュリエッタが、かなり可愛いです(図2)。熱冷ましをコンチエッタに飲ませますが、これだけでは駄目と思ったマルコは、父親の診療所に行って医者に診て貰うよう頼みにいきます。そしてここから、この回の真骨頂。すっかり心変わりしたロンバルディーニ医師です。マルコは診療所に向かう為、雨の中を出かけていきますが。外はすっかり嵐になっています。この嵐の描写がリアルです。特に吹き曝しの港での、マルコの傘を使った風邪の描写が、嵐の強さを非常に上手く表現しています(図3)。次のシーンで傘をすぼめて、マルコが嵐に対応しているのも、また素晴らしい(図4)。高畑監督らしい、細かく的確な嵐の表現といえるでしょう。これだけ嵐の描写をしている事が、最後へのちょっとした伏線になっているのも、また渋いです。 診療所に着きロンバルディーニ医師に、コンチエッタの病状を教えるマルコですが、ここがまたリアルで良い。非常に具体的で、『体を折り曲げて、凄く苦しそうなんです』というマルコの説明を聞いて、急に表情が険しくなるロンバルディーニも格好良いです。上にも書きましたが、こういう教養が生きる描写では、高畑監督は本当に光りますね。ここで、ロンバルディーニの往診の約束を取り付けるマルコですが、ここでちょっと気になるところが。仕事帰りの奉仕の往診を約束してくれたロンバルディーニですが、それを受けマルコが怪訝な表情をします。確かにロンバルディーニは、第6話でドライなところを見せていますから、その彼が無料の往診を引き受けるのは、意外に思えるのは当然でしょう。しかし、観客はそのドライなロンバルディーニを見ていますが、マルコは見ていません。マルコが見ているのは、輸血の危険性を説くロンバルディーニだけの筈です。三千里らしからぬ矛盾なのではないでしょうか?さて、時間も来てロンバルディーニをペッピーノの家に案内するマルコですが、ここで少しあるマルコとピエトロの会話が良いです。『母さんもつらいだろうが、じぃっと待つのもつらいもんだなぁ』というピエトロの言葉を受け、マルコは激情家らしい、強い感情を見せます。『僕、間違っていないよね』という言葉に、前回の父親にした誓いが、早くも揺らいでいるのが判ります。この後の、途方もない苦難の旅の原動力が、重ね重ね表現されて、積み重ねられているのです。またこのシーンでは、マルコ、ピエトロ、ロンバルディーニ、3人で交わされる、短い会話もまた良い。『誰なんだね、急患というのは』というピエトロの話しから、画面には出てきていない、ロンバルディーニとピエトロの大人の会話が想像できるところも良いし、とにかく役に立とうと頑張るマルコが、ロンバルディーニの鞄持ちを勤めようとするのを見て、ウインクでロンバルディーニに合図するピエトロも良いです。 ペッピーノの家に着く2人ですが、まずはペッピーノの阿呆な格好に驚くロンバルディーニがまず面白い。鳩が豆鉄砲での食らったような表情を見せますが(図5)、まぁ、いい大人があんな格好していたら、それも当然でしょう(笑)。そんなペッピーノを叱り、ロンバルディーニはすぐさま仕事に取りかかります。煙草で汚れた空気を換気させ、お湯を沸かして気管支の症状を和らげようとするのが、リアルです。この病気治療の描写は、後に『赤毛のアン』でダイアナの妹ミニー・メイの治療で、もっと徹底して描かれます。それ程の丁寧さではありませんが、こちらも十分に雰囲気が伝わります。リアルな医療シーンがあるアニメって、殆ど無いと思うのですが、どうでしょう?ここで、緻密な演出という意味とは違う、高畑監督らしさが、ロンバルディーニの口から語られます。病気の原因は、貧しくて、本来なら休んでいなくてはいけない病人も、働かざるを得ない事を語るロンバルディーニに、高畑監督の左翼プロレタリアートとしての側面を垣間見る事が出来ます。私はしばしばこのコラムでほのめかしているように右翼です。ですから、本来は左翼思想に対して、あまり良い感情を持っていません。但し、左翼が取り組む、貧しい人々への救済については、それは非常に素晴らしい事と高く評価しています。私は子供の頃からあまり身体が強くなく、随分近所の診療所のお世話になってましたが(今回の風邪でもお世話になりました)、多くの診療所がそうであるように、ここも日本共産党を支持しています。私は日本共産党を結構贔屓している、変わり種の右翼なのです(笑)。ですから、ここでのややイデオロギッシュな高畑監督の意志も、私にとっては悪い気はしませんでした。 最後に、すっかり晴れて星空の見える空の下、ロンバルディーニを送るマルコで、この回は終了します。ここでの星空が、さっきまでの嵐と強いコントラストになっていて、爽やかさが増しています。あれだけ丁寧に嵐を描いているからこそ、星空の美しさが際だつのでしょう。今回最大の名シーンですが、マルコがロンバルディーニをペッピーノの家まで案内する時、その道中での、ロンバルディーニの台詞です。ピエトロが取り組んでいる仕事の偉大さを、短く静かながらも、熱く語る。この静かながらも熱い、というのが実に渋いですね。ここの音楽もまた良かったです。 |
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