| いや〜熱戦が続いてますね、ワールドカップ。コラムを書く時間が無いですよ〜、と言いたいところですが、開幕前には想像もしなかった事態になって、非常に残念です。不可解な判定が、1国を有利にする為に働き、強豪国が消えていってしまいました。こんな事が偶然で起こりうるのでしょうか?1サッカーファンとして非常に残念です。本来ならもっと面白い試合が見れていたはずなのに…ああ、ポルトガル、イタリア、スペイン…せめて決勝戦が、ワールドカップに相応しい、素晴らしい物になる事を期待しましょう。ちなみに3位決定戦も、嫌な予感がするんだけどなぁ… さて、ようやく話しが動き出したと言うべきでしょうか。この作品のタイトルは、当然『母をたずねて三千里』なのですが、主人公のマルコはちっとも母をたずねに行きません(笑)。いえ、本人はやる気満々なのですが、そこはそれ、なかなか世の中思うようにはいかないのです。冗談はさておき、何故マルコが今後の苦難の旅を耐えてまで、母親に会いたいのかをこんなに描いたのです。凄いと思うのは、この作品は4クールで全52話。そして、今回は第14話。何と1クール13話もかけて、マルコの動機付けを行っているのです。4クールある中の1クール、全体の1/4です。高畑監督らしい地道な積み上げにより、作品に厚みを与えています。 高畑監督は、監督デビュー作である『太陽の王子ホルスの大冒険』の解説本を、自らの手で著していますが(『ホルスの映像表現』)、その中でこの作品のクライマックスが物足りない物になってしまった事を、説明しています。ホルスのクライマックスは、一応アクションシーンになってはいるものの、非常にあっさりした物で、あっという間に敵を倒してしまうので、スリルのあるアクションシーンには仕上がっていません。しかし、その原因をアクションシーンそのものに求めるのでは無く、それ以前の描写に求めているのです。つまりはそこまでのキャラクターの葛藤を、存分に描けていないから、アクションシーンで開放感が得られないのだと、言っているのです。 この演出姿勢は、三千里、ホルスだけでなく、他の作品でも見られます。『アルプスの少女ハイジ』は、原作よりも長く、アルムの山での生活が描写されています。『赤毛のアン』でも、アンのアヴォンリーでの生活が、事細かにじっくりじっくりと描かれています。この下ごしらえが、フランクフルトへ連れて行かれたハイジの悲しみや、クィーン学院で1人生活するアンの寂しさを、説得力のある物に仕上げ、作品の味を深くしているのです。高畑監督のこのねばり強さは、本当に驚きますね。週間連載の辛さに、もう音を上げけている私とはえらい違いです(笑)。この地道な積み重ねが作品に与える効果を、実践により示した事は、日本のアニメ界に大きな影響を与えていると思います。勿論、ここまでのレベルで出来る人はいませんが。高畑監督は、作品が他人からどう見られるかを、その他多くの制作者同様に気にする人ですが、何を心の拠り所にしてこういう忍耐力のいるやり方が出来るのか、非常に興味があります。やはり、スタッフの才能を信じているんですかねぇ… 動き出したドラマですが、マルコは真正面から向き合い、アルゼンチンに行きたい気持ちを、ハッキリと言います。ピエトロに、フィオリーナの乗った移民船に乗るつもりだった事を告げます。今までのマルコは、エミリオのような親友にこっそりうち明ける事はありましたが、このような人達に真正面から告げる事から、サブタイトル通りの物を感じます。マルコの強い気持ちに晒された2人。ピエトロは、眉をひそめる表情を見せたり、声が裏返ったり、マルコの並々ならぬ決意を知り、うろたえます。特にらしかったのは、『1人でやるわけにはいかんと』と言うピエトロに『じゃ、ペッピーノさんと一緒だったら』と思わぬ切り返しを受け、『とにかくいかんのだ』と闇雲に拒絶するピエトロですね。この親の心子知らず、子の心親知らずな雰囲気が、またまた三千里。この後、ぶつぶつ『心配いらん』と自分に言い聞かせるように、アンナを心配する心を抑えようとするのが、またらしいですね。険悪になった父と子の雰囲気を和ませようと、昼食を誘ったりするピエトロですが、当然マルコが聞き入れるわけ無いのですが、ここで救世主登場。ミラノの鉄道学校に合格した事を連絡に訪れる、トニオです。ここでのトニオですが、夢に向かって新たなる一歩を踏み出した所為でしょうか、更なる大人っぽい雰囲気を醸し出しています。また、夢に向かって進むトニオを心配させまいと、アンナが病気を患った事を隠そうと提案するピエトロですが、手紙を自分が無くした事にして、自分が泥を被ろうとするマルコがまた良い。家族全員の乾杯の時も、キチンとアンナの写真にグラスを掲げるトニオ同様、この家族の絆の強さが良く伝わってきます。こういう強い絆で結ばれた家族を嫌いな人もいるみたいで、アニメ監督の北久保弘之が『となりの山田君』を否定的に評して、高畑監督を家族幻想を描き続けてきた監督だと言っていますが、仲の良い家族を描くのに何故否定的になるのか、良く判りません。三千里も揶揄してみれば、貧乏人の結束は強いと解釈する事も出来ますが、それがどうという事はありませんし、冷たい家族だって高畑監督は、火垂るの墓の節子、清太の叔母を観ればキチンと描いているのですから、不思議な批判に思えますね。う〜む、また悪口を言ってしまった…(笑) トニオとの別れの時、定期船が到着しますが、ここでもアンナの手紙は届いていません。これでマルコはアンナが病気であると確信します。そして、ピエトロに直接自分の心を訴えたように、ジーナにアルゼンチンへの定期船に乗せて貰うよう、懇願します。この時のマルコの台詞が、なかなかの名台詞。ただの自分のわがままではなく、家族の一員として皆の為に役に立ちたいというマルコの気持ちが、強く口調からほとばしる、実にマルコらしい台詞です。これだけの強いマルコの決意に、ジーナは強く感銘するのですが、その表現として、ジーナの海で無くなった一等航海士の夫の事をうち明けるのが良い。今まで見えなかった、彼女の人生の一端が垣間見えるエピソードです。またこのエピソードは、ジーナがマルコの事を、自分の子供のように想っている事を、観客に伝えるシーンにもなっていますね。マルコは誤解して出ていってしまいますが、その後夫の写真を入れたペンダントに、少し視線を落とす仕草が(図1)、ジーナの無き夫への想いが感じられて、これも大人アニメの味わいがありますね。場面変わって、診療所でのピエトロのシーン。マルコにアンナは大丈夫と言ってきたピエトロですが、実はかなり心配している事が、この診療所での医師達との会議のシーンで判ります。別にここは名シーンと言えるような、特別な物ではないのですが、そこに登場する医師がなかなか良い雰囲気です。ロンバルディーニは、何回も登場しているので観客にとって馴染みがありますが、他の医師達も初登場であり登場時間が短い物であるにも関わらず、キチンと各々のキャラクターが伝わってくるのが凄いです。だみ声で怒鳴る医師も良いのですが、ここはやはり、第6話で名前だけが登場している、マルディー医師ですね(図2)。貫禄ある風体、ロンバルディーニの態度、結論を求められる事、これらの事からこの診療所における、リーダー的医師である事が伝わってきます。こんなちょい役に、これだけの情報が詰め込まれているのが、三千里という作品の凄まじいところだと思います。ここでのピエトロの渋い表情も、実に良いですね。 と、持ち上げておいて何なのですが、今後マルコがブラジルまで乗るフォルゴーレ号の船員、ロッキーとの出会いはちょっと気になりました。私は、高校の時からジャズが好きになり、その後R&B、ソウルミュージック、ゴスペルに流れ、その後はラテンミュージック、アフリカンミュージックなどを聞いていてました。ですから、黒人音楽文化に親しみを感じていて、黒人が登場すると普通の人より、ちょっとチェックが厳しくなります。アメデオを見て『この猿はおいらの国、ブラジル産だ』と言うからには、彼はブラジル人なのでしょう。でも、ブラジルの黒人と解釈するには、少々無理があると思うのです。年を追って説明します。世界名作劇場地理的大解剖によれば、『母をたずねて三千里』の時代設定は、 1882年〜1884年となっています。アンナと別れた日から1年以上が経っていますから、この回は1883年だと思われます。そしてロッキーは、8年前13歳の時に、ニューオリンズから密航で逃げてきたと打ち明けてますから、1862年生まれの21才。恐らく、密航したのが(綿花畑の労働から逃げる為と思われます)1875年という事になると思われます。ところが、ブラジルの奴隷解放が1888年、つまりはロッキーは、綿花畑で働く前に、ブラジルの奴隷主のところから、脱走している過去も持っている事になります。ちなみに、アメリカの奴隷解放宣言は1863年で、ニューオリンズでの労働は、奴隷としての労働ではないみたいです。ちょっと凄まじい設定ではないですか? 恐らく、三千里スタッフ達は、ヨーロッパ文化とか、アルゼンチンタンゴ、フォルクローレとかには興味があったのでしょうが、アフロアフリカン文化には当時あまり興味が無かったのではと思うのです。つまりは、アメリカの西部劇等に登場する黒人のイメージで、ロッキーのキャラクターを作ったのではないでしょうか。まず、ロッキーという名前もブラジル人らしくありませんね。しかし、何と言っても、ロッキーの手のひらが白くないのが(図3)、気に入りません(笑)。何を細かい事を、言われる方がいらっしゃると思いますが、こんな細かいところまで、と驚嘆するほど描写が細かいのが、三千里の魅力なのですから、こういう指摘もありでしょう。とはいえ、ワールドミュージックブーム後の今でこそ、ブラジルの音楽は気軽に聴けますが、当時ではなかなか情報が無かったのですから、仕方が無いと思います。散々ケチを付けておいて何ですが、私はこのロッキーというキャラクターが凄く好きですけどね。明るくて人懐こくて、ステレオタイプの黒人キャラという事も出来ますがそこは三千里、この後色々なエピソードでキャラクターに厚みが増してきますので、ただのステレオタイプでは終わりません。ちなみに、このロッキーとフォルゴーレ号を紹介する話しの中で、船のドアを閉めるマルコの描写が、またまたキチンとされている事に、またまた驚かされましたね(図4)。 さて、このフォルゴーレ号で密航を企むマルコで、この回は終了しますが、後ろの回に引くように終わっているのが、この作品では非常に珍しいと感じました。それはともかく、今回最大の名シーンですが、トニオに手紙を自分が無くしたと嘘をつくマルコでしょうか。意気揚々と未来に歩みを進めようとする兄に気を使い、自分が泥を被ってまで、心配させたくないマルコの気持ちが、実に気持ちが良いです。音楽も良いですしね。この時のトニオが、少し憮然としているように見えるのも(図5)、また良いですね(笑)。 |
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