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第15話『すすめフォルゴーレ号』

 今回で、イタリア編も最後。マルコはアルゼンチンに向けて旅立ちます。と言いましても、まずはブラジルに向かうんですけど。ブラジルと言えば、優勝しましたね。ブラジルが優勝してすぐのコラムが、ブラジル行きの話しとは、なんたる偶然(笑)。って、こじつけすぎですか…(汗)それはともかく、最後はまぁ少しは良くなったとはいえ、残念なワールドカップでしたねぇ。今回の日韓ワールドカップを機会に、嫌韓ホームページが増加しておりますが、一応ここはそういうところではないので、一言だけ。共催は無茶でしたね。ただでさえ、ナショナリズムが喚起されるイベントなのに、ましてや日本、韓国と、仲の悪い国同士での共催は、振り返ってみれば無謀としか言えないです。ワールドカップの興奮を政治に利用したくなるのも判りますが、肝心のスポーツとしての魅力に曇りが生じるようでしたら、それはやりすぎといえるでしょう。とはいえ、ワールドカップもオリンピックも、随分と犠牲になってきましたから、しょうがないのかもしれませんね。会社の後輩は、『これこそがワールドカップ』と、皮肉を言っていました(笑)。

図1、マルコの決意を知り、ピエトロを説得するジーナ この回は、三千里の非常に緻密でリアリティがある点が、作品の説得力の足枷になっていると私が考えている回です。つまり、ちょっと否定的な意見を持っている回です。結局、ピエトロはマルコに旅する事を許可します。しかし、普通の人の親なら、こんな旅を許可するはずはありません。それを説得力ある物にする為、アンナの音信が不通になる事、ピエトロやトニオは、手が空かない事等、これでもかこれでもかと、この筋立てを説得力ある物にする為、エピソードを重ねてきました。この回でも、ジーナがピエトロを説得するエピソードが、挿入されています(図1)。ジーナのマルコに対する感情も語られ、子守歌も流れ、雰囲気ある画面作りを行い、ピエトロの心が揺れている事を演出しています。

 しかしそれでも、まともな父親なら幼い息子をイタリアからアルゼンチンへの一人旅を許可する事は、常識的に考えてあり得ません。これがファンタジーアニメのように、現実から飛躍しているアニメであれば、それ程不自然ではないでしょう。しかし、三千里のように当たり前の大人を当たり前に描き、人間観察と描写が、これだけのレベルに達している作品ですと、やはり不自然さは拭えません。三千里の、母親を捜しにイタリアからアルゼンチンに旅をするという、物語らしい飛躍が、高畑監督の現実的な世界観と拒絶反応をおこしているような気がします。

図2、名も無き船員、これだけのキャラにこれだけの存在感は凄い! 乗る船もどうでしょう。確かにレオナルドコック長は、しっかりした大人に見えますし、フォルゴーレ号の船長も、なかなか貫禄のある人物です。ロッキーもマルコに対しての好意を見せていますし、安心してマルコを預けられる第一印象を、ピエトロに与えていても全く不思議ではありません。しかし、所詮は初対面です。いい人に見えていて、実はロクデナシなのかもしれません。しかもフォルゴーレ号は、直ぐに出航してしまうのです。いくらお金が無いピエトロでも、少しくらいは工面してマルコに持たせるでしょうし、その他、準備もあるでしょう。ピエトロだってアンナへの手紙を、マルコに託したいと当然考えるはずです。それらの点を考えれば、いきなり船に乗せてしまうのは、普通に考えれば不自然です。やはり、ジーナの顔が利き、出航まで日に余裕がある、ダビンチ号に乗せようと思うのが筋でしょう。マルコを捜してくれた、実直そうな船員(図2)を見れば、船員の質だって、レオナルドコック長が言うような物ではなく、ダビンチ号は決してフォルゴーレ号に劣らないと言えるでしょう。

 何を細かい事に突っ込んでいるんだと、思う方もいらっしゃると思いますが、高畑監督が三千里で築き上げてきた、非常にリアルな世界観は、それだけ説得力のある物だと思うからです。ハイジで怪我した小鳥を飼うエピソードがありますが、脚本家が上げてきた普通のエピソードを、小鳥を飼うという事は、世話に凄い労力を要するはずだと、ただの良い話しで終わらせることなく、ロジカルな積み重ねでひと味違うエピソードにした高畑監督です。三千里のこれについて、あえて構造的欠点と言わせて頂きますが、高畑監督も気にしていたんだろうと思います。ですから、一人旅に説得力を持たせる為に、執拗とも言えるレベルで、エピソードを重ねたのだろうと思います。但し、残念ながら少なくとも私にとっては、違和感が無いとは言えない物に仕上がっていると、言わざるを得ないです。

図3、料理の腕を披露、レオナルドの表情に注目 悪口ばっかり書いてしまいましたが、この回のフォルゴーレ号の船員達とのやりとりは、実に魅力があります。ロッキーが好青年である事は、前回の話しで短いながらも十分描いていますので、今回はやはりレオナルドコック長ですね。初めは、密航者であるマルコに『お前が行くのはアルゼンチンなんかじゃない、警察の豚箱行きだ』と冷たいコック長です。しかし、マルコのひたむきさに、好感を持ち出します。まずは、コック長曰く『小癪な手際』を披露します(図3)。ここら辺のから、コック長のマルコに対する対応が、あんまり厳しい物では無くなりますね。台詞の雰囲気に、とげとげしい物がありません。ところでこのシーンでは、マルコはシチューの鍋をひっくり返してしまい、全身汁だらけになってしまいますが、これがまたリアルで良い感じです(図4)。料理が無駄になった、勿体ない感が非常に良くでています。シチューで泥だらけになったマルコの強い訴えも、彼の強い希望を感じさせる物ですね。

 次のシーンの事務長の取り調べですが、 『イタリアの街からアルプスを越えて、オーストリアを突っ切り、チェコスロバキアを横断して、ポーランドに抜ける程の距離』のブラジル〜アルゼンチン間を、歩けるところならどこまでだって歩いていくというマルコの決意を聞き、その無謀さに大笑いをして、コック長はマルコの事が好きになります。ところで、この距離の表現の仕方が、実に三千里らしいと感じるのは、きっと私だけではないでしょうね。

図4、シチューまみれのマルコ、後ろのロッキーが良い味出してます この僅かな表現で、コック長が少しきつい言い方をする癖はあるが、非常に良い人物である事と、マルコの事をもの凄く気に入った事が、観客に強く印象づけられます。表現の上手さもあるのでしょうが、やはり人物の設計図が、恐ろしく緻密に行われている事が、一番評価すべき部分なのでしょう。人物の設計図というと思い出すのは、『火垂るの墓』で、節子の火葬する為の炭を良く燃やす方法として、大豆の殻を使う事をアドバイスする男が登場しますが、ムックの記事で高畑監督はこの男は非常に良い人であると設定していると、書いてありました。ほんの僅かしか登場しない人物に、明確な設計を施しているところが、高畑監督の凄いところです。高畑作品のスタッフは、その要求の高さに非常に苦労すると言われていますが、これだけ明確である点から、もしかしたらある意味やりやすい部分もあるのではと感じますね。

 そんなこんなで、ようやくマルコはイタリアから旅立つのですが、ピエトロとの別れのシーンは、上に書いた理由から、ちゃんと盛り上がるような作りにはなっているのですが、私にとってさほど感銘を受けるシーンにはなりませんでした。う〜ん、好きな作品の悪口を言うのは、どうも気持ちが悪いなぁ…(汗)ところで、船上でマルコは『とうとうやったなマルコ』と、ロッキーに祝福されますが、この時のロッキーのダンスがなかなか良い。アニメにおけるダンスシーンは、非常に難しい物だと思いますが、黒人らしいリズム感のあるダンスで見応えがあります(図5)。

図5、ソウルフルなダンスを見せるロッキー、イエィ! 黒人で思い出しましたが、徳間書店から発行された、映画版ガンダムのロマンアルバムで高畑監督と富野由悠季が対談をしてますが、ここで高畑監督はガンダムに黒人が登場しないのを責めています。高畑監督の考えでは、『地球連邦』であるならば、世界中色々な人種で構成されているのが自然だし、そこら辺を意識して設定した方が面白いという物です。ジオン公国も、旧ヨーロッパ勢力の末裔にしたりとか、だから白人で構成されているとか。実に高畑監督らしい発想で、面白いですね。

 これに対し富野氏は、人種差別の問題でTVコードに触れると反論してますが、『サイボーグ009』を引き合いに出され、哀れ撃沈してしまいます(笑)。ここで思うのですが、どうせ引き合いに出すのなら、他人の作品ではなくて自分の作品を出せばいいのにと、思いましたね。しかも富野氏は、三千里の絵コンテもやってますから、『あなた絵コンテ書いたでしょう、まさかロッキーが黒人と知らないで書いたの?』とか、更に鋭く、深く追求してくれれば、もっと面白い対談になったのになぁと、非常に残念です(爆)。うむむ〜かなり悪趣味かもしれませんね。富野ファンの皆さん、ゴメンナサイ…

 さてさて、今回最大の名シーンは、全身シチューまみれになりながら、密航を強く訴えるマルコですかね。シチューの質感が非常に見事な所為で、マルコの気持ちがより強く伝わる名シーンだと思います。

©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976

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