トップへ><三千里コラムへ
第20話第21話

第21話『ラプラタ川は銀の川』

図1、血のような赤と、霊柩車 今回は何と言っても、マルコが見る悪夢につきますね。悪夢描写のお手本と言っても良いくらいの出来映えだと思います。不気味な、アンナの死を暗示する人々の声。観客にとっても見覚えのある、ジェノバの街並みから人気が消えた不気味な雰囲気。マルコの前を走る霊柩車。喪服の男。不気味なムード満載の見事なシーンと言えます。ジェノバの街並みの背景も、恐らくは以前に使った物の使いまわしだと思いますが、街並みから人を消す事によって、オリジナルの生活感溢れる物が、人の気配の無い死んだ街の印象を醸し出しています。私が好きなのは、真っ赤なジェノバの壁でしょうか(図1)。

 喪服の男がアンナの墓に連れていきますが、ここでのカットの割り方、レイアウトの切り方、非常に怪奇ムードを盛り上げています。恐らくは、エッシャーの騙し絵等を強く意識したシーンでしょうし、こういったシーンにそれが引用されるのは珍しく無いと思われますが、一枚絵の世界を、見事にアニメーションで再現していると言えるでしょう。久しぶりの悪い比較で、またまたファンの方の激怒を買いそうですが、『ルパン3世』の劇場版1作目にの、同様に騙し絵をイメージしたシーンがありますが、雰囲気の再現という意味では、こちらのほうが良くできていると言えると思います。でも『ルパン3世』も好きですよ。特に劇場版1作目は、1番好きと言っても過言では無いです。初めのTVシリーズよりも好きですね。と、フォローを入れる小心者(笑)。

 喪服の男が振り返ると、顔が花になっていて顔が無いというのもまた良い。このシーンの設計は、当然レイアウトの宮崎駿でしょうが、『千と千尋の神隠し』のカオナシとの共通点を感じるのは、ちょっと考え過ぎでしょうか。

 その後目を覚ますマルコですが、上記の夢のシーンが良く出来ている事と、現実の世界もしっかり描かれている所為で、観客はそのギャップを楽しむ事が出来ます。『OL進化論』で有名な秋月りすのマンガで、彼女自身の子供時代を書いたエッセイマンガがあります。その中の一編で、彼女の小学生時代の、絵の上手い不良少年の同級生について書かれている物がありますが、白い猫を描いた彼の絵は、背景とかを青く塗り、誰よりも白く見える猫を描いたのだそうです。このシーンもそれと同様で(さすがにレベルは違いますが)、現実のシーンを綿密に描いているからこそ、夢のシーンが際立つという、現実描写に長けた高畑監督の特徴が現われているシーンと言えるでしょう。

 連続した空間と時間が、高畑演出の特徴の1つですが、高畑監督が著した『ホルスの映像表現』の中で、同じく空間と時間の連続性を表現している、山田洋次監督の寅さんシリーズへの賛美からも、高畑監督がそれを意識している事が窺い知れます。ちなみに宮崎駿は、この連続した空間と時間に関しては、この演出法にモロに影響を受けたと語っております。それを考えると、この2人の『ホルス』での出会いは、運命的とも言えるのでは無いでしょうか。片や、空間表現を求める演出家。片や、空間把握、空間表現能力としては、天才としか言い様が無いアニメーター。面白いですね。高畑監督にとって、自分の空間を意識した演出を支える、最高に優秀なスタッフとして、彼との出会いは素晴らしい物だったでしょうし、宮崎駿にとって、自分の才能を生かせる演出法を学べる機会として、最高の物だったのだと思います。

図2、白銀の川、ラプラタ川 空間表現と言えば、高畑勲とは話しが離れますが、少し思い出したので、少しよもやま話を。ジェイムズ・キャメロンは、アニメ監督押井守と交流があり、彼の作品のファンとしても知られていますが、押井守が『攻殻機動隊』を公開した後に、キャメロンから仕事のオファーがあったそうです。と言いましても、映画監督が映画監督に仕事を頼むわけも無く、押井守が自分の作品で使ったアニメーターに対してのオファーですが。その当時、キャメロンが企画していた作品が、CGをふんだんに使った作品らしく、その作品に参加してもらいたいとの話しでした。キャメロンは、本来ならコンピューターの計算で行う空間を、頭の中で構築できる、『攻殻機動隊』で活躍した日本人アニメーター達の能力を高く評価し、オファーをしてきたようです。条件面で折り合いがつかなくて、流れてしまったそうですが。

 この話しを聞くと、スタンリー・キューブリックから『2001年宇宙の旅』の美術として、手塚治虫にオフォーが来た話しを思い出しますが、こちらも逃した魚はでかいと言えますよ。この記事の時期から推測するに、キャメロンが作っていた作品は『タイタニック』である事は、ほぼ間違い無いでしょうから(笑)。

 ところで、わざわざ日本人にオファーを出した事から、3次元空間を頭にイメージ出来る能力を、アニメーターの能力として重要視するのは、日本のアニメ界の特徴なのかもしれません。アニメーター大塚康生も、アニメーターの能力として、この能力の重要性を説いていましたし、アニメーターの適正の狭さ、つまりはアニメーターの素質を持った者の少なさについても言明していますが、こんな能力を必要とするのならば、それは滅多にいなくても当然でしょう。

図3、マストにはためく、アルゼンチンの国旗 ただ、それは大塚康生が理想とする、かつての東映動画長編のようなアニメを作るための能力と思うのですがどうでしょう。現在の電脳紙芝居と揶揄される、TVアニメを観ていると、プロのアニメーター全てがこの能力を持っているような気はしません。こういう事を言うと、勘違いを招きそうですが、私は作品として面白ければ、電動紙芝居も好きです。確かに画面に立体感や空間的奥行きのあるアニメも素晴らしいのでしょうが、平面的な画面であっても、魅力ある映像表現はあり得ると思います。空間が分らなければアニメが作れないのであれば、アニメの表現はあまりにも狭い物になってしまうのでは無いでしょうか。

 話しを戻しましょう。悪夢に不安になったマルコは、真夜中にも関わらず、大騒ぎをしてしまいますが、この時の大人達がまたまた良い感じですね。三千里という作品は、マルコが旅の行く先々で、マルコを思いやる大人達に助けられるエピソードの連続で、だからこそ魅力的な大人が構造的に沢山出てくる作品と言う事が出来ます。この回でも、フェデリコ爺さん、レナータ、夜勤の船員とマルコを気遣う大人達が登場して、大人アニメの味わいを満喫出来ますが、今回取り上げたいのは、船長ですね。

図4、馬か?牛か? シーンは短いですが、マルコの境遇を知る船長の、さり気ない優しさが伝わるシーンと言えるでしょう。何が良いかと言って、寝ているところを突然起こされた船長ですが、フェデリコ爺さんが船長室に来る前に、ドアを閉めようとしているのが良いです。船長は、フェデリコ爺さんが来る前から、マルコの事を慰めてあげようという気持ちが画面に現れていますね。睡眠薬代わりのお酒も良いです。また、船長がフェデリコ爺さんの名前を知っているのも良い。前回で、客室のパニックを鎮めた事から、船長に呼ばれるシーンがありましたが、その伏線がきっちり生きていますね。こういう小技が、またまた三千里の魅力といえるでしょう。

 さて、何とか朝を迎えたマルコですが、起きた時には船はアルゼンチンに入り、ラプラタ川を登っています。まるで海のような大きなラプラタ川と、その水の色が実に良い感じで、ロケハンの成果と高畑監督らしい教養が感じられて、ニヤリとしてしまいますね。『ラプラタとはスペイン語で銀』『アルゼンチンという国の名も、銀色という意味』『良く晴れた日には、となりのウルグアイがうっすらと見える』とか、うんちくも満載で、アニメ界一の教養人(と私は思ってます)高畑勲らしさが、良く出ています。教養はともかくとして、ラプラタ川の大きな景観と水の色は(図2)、旅の雰囲気を非常に良く醸し出していると言えるでしょう。ところで、この朝のシーンでマストの旗がアルゼンチンの国旗になっていますが(図3)、フォルゴーレ号のマストの旗がブラジルの国旗であった事と統一が取れています。ここら辺もさすがと言えるでしょう。ところで、ラプラタ川に浮かんでいる動物の死骸(図4)、これってどんな演出意図が会ったのでしょうか。いまいち疑問でした。

図5、パンの色からして、どうみても例の泥土こねくりパンですな(笑) 小ネタですが、フェデリコ爺さんがマルコを励まそうと、『何か美味い物でも出てるかもしれんぞ』マルコを朝食に誘いますが、結局は最後の最後でも、不味いパンに不味いスープだったみたいですね。パンの色合いが、どう見ても黒パンです(図5)。ちょっと楽しかったですな(笑)。

 さて、今回最大の名シーンですが、これは冒頭のマルコの悪夢しか無いでしょう。そのイメージの凄さに、圧倒されます。

©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976

第20話第21話
トップへ><三千里コラムへ