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第28話『バルボーサ大牧場』

図1、渋い、渋すぎる! 今回の話しで、勿論メインとなるのはフィオリーナなのですが、チョイ役の牧童頭のグレゴリオ(図1)とその女房サラが良い味を出していて、私は非常に好きです。グレゴリオはいかにも寡黙な、昔ながらの男くささがあるし、それの気の良い女房のサラは、いかにも人の良さそうな、そして感情表現が大袈裟な、ホントにおばさんおばさんしている感じが、非常によろしい。そんなサラに、少々振り回され気味のグレゴリオが、またまた良い味出しておりますなぁ。

 この2人だけではなく、バルボーサ牧場の面々が、まぁいかにもな人間達が勢揃いで、非常に嬉しいです。まずは、バルボーサ牧場の持ち主である大旦那からして、そうなのが良い。どう見ても、上品な男とは言い難いですね(笑)。前話でコンチエッタが、どうせ心の底では馬鹿にしていると言っていますが、そういう雰囲気が見て取れます。話しを聞きたいと呼びつけておきながら、端に座らせるところなんかそうです。特に悪気も無さそうなのが、実にらしいですね。

 しかし、基本的には気の良いおっさんで、ペッピーノの口八丁があまりにも上手かった、というのもあるのでしょうが、次のシーンでは向かい合って話しに没頭していたり、ペッピーノが金持ちを相手にしたいのには興味を示さず、牧童の娯楽を考えてあげているところなんかに、それが現われています。しかも、一番良い席に座ってはいますが、牧童達と一緒に芝居を観る所なんかから、牧童達にとっては結構フレンドリーなオヤジで、苦労を一緒に共にしてきた仲間たちという意識もあるのでしょう。蛮族討伐にしても、今は格好良く語っていますが、当然命の危険にさらされた事はあるでしょうし、それを皆と一緒に乗り越えてきたのでしょうから、それも当然なのでしょうね。

図2、見よ!この薄汚いオヤジ共を(笑) そうして、苦しみを乗り越えてきた大旦那がああいう性格で、息子があれだけ上品なのも、らしいとも言えます。サルバドールの新妻も、大牧場の令嬢で非常に美しく上品ですが、恐らくは彼女の父親も、強烈な男なのかもしれませんね。やっぱり上品な息子より、下品な親父の方が、キャラクターとして魅力があるよなぁ…ところで、彼の左手薬指に指輪があり、さり気なく既婚者の証が示されていますが、彼の奥さんが画面に登場していなかったのは何故なのかな?

 他の牧童達の描写は、非常に少ないのですが、バルボーサ親子達と一緒に芝居を観劇する、牧童達も少ないながら楽しめます。討伐隊の登場に、異常に盛り上がる牧童達が実に楽しい(図2)。それにしても、汚ぇ面の連中ばっかり!ああやだやだなんてお下品な(笑)。クールな息子の横で、これまた興奮しているバルボーサの旦那が、らしくて良いですね。

 芝居のシーンでは、やはりグレゴリオとサラが、やはり一番面白く、妻のサラが異常に盛り上がっている中、表情に変化も見せずに、淡々と見ているグレゴリオが対照的で良い。恐らく彼は、こういう物に興味が無く、サラにせがまれて一緒に見る事になったのであろうと、想像できますね。芝居と現実がゴッチャになっているサラの、素っ頓狂な質問に、怪訝な表情を見せるところとか(図3)、大泣きしているのに困った表情をしているグレゴリオが、実に楽しいです。この2人子供はいるのかなぁ。そういう描写が、少しでもあったら、もっと面白かったのではないかと思います。贅沢過ぎるかもしれませんが(笑)。

図3、現実と芝居の区別が付いていない、サラに戸惑うグレゴリオ 牧場の描写は、それ以外もなかなか面白い物が観れます。冒頭のサルバドールのやっているゲームも、伝統的なゲームらしく、アルゼンチンの観光牧場では、今でも見られるみたいです。結構難しいみたいです。

 25話で解説した、アルゼンチンの焼き肉料理、アサードも登場します。アルゼンチンのカウボーイ、ガウチョが野生の牛を捕らえて、食べていたのがアサードの始まりだそうですが、アルゼンチンだけでなく、パラグアイ等、南米では広く食べられている料理だそうです。昔ながらの焼き方は、三千里で紹介されている通り、牛を開いて焼くみたいですが(図4)、現在の今のアルゼンチンでは、ほとんどの家に、アサード炉と呼ばれる炉を持っているそうです。アニメですから、それほどインパクトはありませんが、実物は普通の日本人からすると、結構強烈に見える焼き方らしいです。

 今回も、前回同様、深沢一夫の人形劇経験が反映されていると思われる回ですが、前回が準備の話しであるなら、今回は本番の話しです。ペッピーノ自身が一世一代の大芝居と言うだけあって、普段とは比較にならない大きな舞台を見せてくれます。ここでの、舞台の表現と、裏舞台の表現が実にリアル。実に凝った仕掛けを作っていますが、それの仕組みがキチンと考えられているのが凄い。細かくは判りませんが、恐らくあれと同じ人形劇は、実際に作る事が可能なのでは無いでしょうか。小道具類も勿論素晴らしいですが、やはり一番目につくのは背景のスクロールですね。汗を流しながら回すマルコが良いです(図5)。まわす演技が、キチンとシーンにあわせてあるのも素晴らしいですね。

図4、開かれた牛、確かに生で見たらえぐいです… 今回の話しの肝となっている、あまりにもえげつない、ペッピーノのアドリブですが、エンターテイナーとしてのセンスはなかなかの物だと思いますね。バルボーサとの会談での、講談師さながらに、新しいシナリオを即興で観客の好みに作り上げていく手腕も素晴らしと言えるでしょう。初めはクールに観ていて、決して芝居に没頭する事の無かった、サルバドールも、あまりにも悲劇的な展開に、客観的視点から主観的視点に移っていきます。ただ一人、牧童頭グレゴリオだけが相変わらず、芝居に没頭していないのが楽しかったなぁ。

 この酷いアドリブは、欲望がスパークしてマルコとフィオリーナの気持ちに毛ほども気づかなかったのですから、マルコをダシにして金儲けをしたと非難されるのも当然でしょうが、まぁ、エンターテイメントとは、こういった残酷な面も持っているのでしょう。人の不幸は密の味と言いますからねぇ。最近、とある作家が他人のプライバシーを暴いたとして、訴えられた上敗訴しましたが、まぁ、これに関しては恐らく作家が悪いのでしょうが、そういう物が面白くて売れるというのもまた事実なのだと思います。

図5、背景を回すマルコ、演技するフィオリーナ、待機するコンチエッタ さて、今回最大の名シーンですが、その酷いペッピーノのアドリブのシーンですね。勿論、フィオリーナとコンチエッタの演技を超えた名演技です。視点が舞台から舞台裏に移動し、台詞を絞り出すコンチエッタ、そしてフィオリーナ。プロ魂を見せ付け、演技を続けるようフィオリーナに促すコンチエッタ(図6)。フィオリーナの、心の底からの魂の叫びがほとばしります。そして、その演技を聴き、同じように胸を痛めるマルコ。

 その演技の本物感が実に素晴らしいです。私の弟は、そこそこ芝居に詳しいのですが、以前面白い話しを聞かせてくれました。とある、アメリカの舞台女優が、『ロミオとジュリエット』で最高の演技をして、観客の絶賛を受けました。アンコールが鳴り響く中、その女優は死ぬほど恥ずかしくて、舞台に出るのが嫌だったのだそうです。何故なら彼女は心の底から人を愛した時に、自分が一体どうなってしまうのかを衆目に晒したからなのでした。素晴らしい演技とはこういった側面がある物なのでしょう。だから、フィオリーナの演じるマルコが、バルボーサ牧場の人達の心を、強く打ったのです。

図6、フィオリーナを説得するコンチエッタ、この後、魂の演技が… ところで、ラストシーンで、笑顔でバルボーサ牧場を後にするフィオリーナの横で、未だサルバドールに未練があるのか、表情が晴れないコンチエッタが渋かったなぁ。今回のコンチエッタは、失恋した事に気付き、ヒルダを思わせるような、自虐的な笑いの演技も良かったし、自分の気持ちをフィオリーナに語る、シーンも良かった。このシーンは音楽も良かったですね、甘くほろ苦い、コンチエッタの気持ちが伝わる名シーンでした。

©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976

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