今回のコラムを書く前に少し。韓国最大の発行部数を誇る朝鮮日報。そのWeb版には日本語のページがあります。記事の引用を以下に。
成人たちが最ももう一度見たいと思う思い出のアニメーションは『赤毛のアン』であることが分った。以下、『キャンディ・キャンディ』『未来少年コナン』『銀河鉄道999』と続きますが、この結果は高畑ファンとして非常に嬉しいですね。どうも海外での日本のアニメーションの評判といいますと、大抵はアクション物かヒロイン物の人気がクローズアップされがちです。宮崎作品の海外での人気の高さも、質の高さは当然ですが、やはりジャンル的にもアクション物、ヒロイン物に属するという事が、原因の1つである事は間違いないと思います。 それに比べ、地味な高畑アニメの人気はどうなんでしょう。大塚康生著『作画汗まみれ、増強改訂版』に、ディズニーの長老、フランク・トーマス、オーリー・ジョンストンが『じゃりン子チエ』を自分達が観た日本アニメでの最高の作品と、絶賛した書いています。『私たちディズニーが到達し得なかった素晴らしい作品です』とまで、言っている事から、決してお世辞ではない、心からの賞賛である事が伺えます。ただこの評価も、一部の専門家に評判が高いという傾向を現しているだけです。勿論それも素晴らしいのでしょうが、やはり大衆映画は大衆に支持されてこそ、という思いがある私からすると、若干物足りなさも感じます。 そんな中で、上記の朝鮮日報の記事は、素晴らしいと感じました。しかも韓国という、日本のアニメ人気が定着している地域での結果ですから、ファンとしての喜びもひとしおです。しかし、韓国人がこんなに『赤毛のアン』が好きだとは思わなかったなぁ…何となく、派手な作品が好きなイメージがありましたので、こんな地味な丹念な心理描写で構成されている作品が、一番人気を獲得するとはちょっと思っていませんでした。『赤毛のアン』い一票を投じた韓国人達に、一体どこが面白かったのか、詳しい話しを聞いてみたいですね。 さて、今回でカルロスの出番はおしまい。僅か2話しか登場しないチョイキャラクターのカルロスですが、その短い出番の中で圧倒的な印象を観客に与えます。しかし、今回感じたのは、若い頃観た時は、ただカルロスの格好良さにのみ目がいっていたのですが、この年齢になって観ると、カルロスに比べて駄目駄目な男達との対比が、非常に興味深く思えた事です。 では、それぞれの男達の、駄目っ振りと、格好良さ振りを中心にストーリーを追ってみましょう。 まずは冒頭ですが、カルロスがいつも通り早起きなマルコ、フィオリーナよりも早く起きて、既に馬車を修理しているのが格好良い。あれだけの状況しかもたった1人で、どうやって馬車を引っ張り出し、どうやって修理したのかは全くの謎です。しかし、これが謎になっていて想像の余地も無いからこそ、更に格好良さが引き立つのです。高畑監督はインタビューで、『フランダースの犬』に対して以下のような批判的な意見を持っています。 もう一つは、逆に徹底して可哀想な話しにするという方法です。物語の形は旅ではなく村の中で生活になっていますが、『フランダースの犬』なんかはそうですよね。 ネロ少年の行動が想像出来ないのと、カルロスの行動が想像出来ないのは、一見似ているように見えますが、これらは大きく違います。『ぶっ壊れた馬車、どうやってあの爺さん』という、劇中でペッピーノがその疑問を呈している台詞があることからも、それを裏付けていると言えるでしょう。ところで、このシーンでの、つまらん事を言い、礼金を渋ろうとする恩知らずのペッピーノが、実に駄目男っ振りを見せてくれます。挙げ句、まだ小さいフィオリーナにたしなめられるのが、実に情けない。更に、フィオリーナの非難の眼差しに負けて(図1)、金を出すのが情けなさに拍車をかけます。もっとも、このみみっちさの所為で、後に酷い目にあいますけど(笑)。 次はイタリア料理店のシーンになりますが、まずは店の中が、鉄格子で仕切られているのが、凄いですねぇ。やはり治安上の問題なんでしょうね。こういう描写もも恐らくは取材の成果なんでしょう。しかも、ただの設定だけではなく、この後起こる事件で、何故こんな鉄格子が必要なのかが、しっかり説明されているのも、昨今良く見られる、設定のための設定を作っている作品と、三千里が一線を画しているところと言えるでしょう。 ここでもペッピーノのせこさ炸裂。メニューを眺め、恐らくは一番安い料理を注文したであろうペッピーノのせこさが実に良い。折角の久しぶりのイタリア人なのに、よりによって一番安い料理を注文するペッピーノに、店主の怪訝な表情が実におかしいですね。こういう心理が見えるのも、メニューの値段が判るように書いてあるからでして(図2)、こんな細かいところまで描く、三千里の凄さに、改めて舌を巻きます。もっとも、店主がメニューの埃を払っている以上、あんまり大した料理が無いのかもしれませんけど。ペッピーノの暴走はまだ続きます。いかにもいかがわしい男の申し出なのに、最高級葡萄酒の魅力に抗えず、あっさり受けてしまうペッピーノ。店主の警告を知らせる素振りも、勝手に自分に都合良く勘違いして、あまつさえ、コンチエッタがいなければ、お代わりまで頂こうという浅ましさ。一番安い料理を注文した事とあわせて考えれば、正しく目眩がするほどのせこさと言えるでしょう。ペッピーノの大人の男としての駄目さは、結構共感する部分はあるのですが、さすがにあそこまで物は、自分には無いですなぁ…(笑) この後、ペッピーノがラム酒一瓶おごらされる羽目に陥るところから、雰囲気が険悪になっていきますが、ここでこの時代のガウチョがおかれている立場が、乱暴者のガウチョから聞けるのが興味深いです。三千里の時代設定は、以前にも書いてますが1882年〜1884年でして、サルミエント大統領(在職1868年〜1874年)が行った、ガウチョ撲滅運動の影響を感じさせますね。男が嘆く、牧場主に飼い慣らされたガウチョとは、バルボーサ牧場の牧童達のような者達を指すのでしょう。牧童達もこの男と同じく、腰にはファハと呼ばれる牛の皮でできた太いベルトを巻き、そしてファハの後部にはファコンと呼ばれるナイフを差すガウチョスタイルです。もっとも、バルボーサ牧場の牧童達は、あんなにあっさりファコンを抜くようなことは無いでしょうけれど… こういう、男らしさの象徴と言える職業は、どこの国にもあると思います。日本では侍ですし、ヨーロッパでは騎士でしょう。ただ、これら2者が、共に主君に仕える、職業として安定した地位にあるのに比べ、『食いてえ時に食い、寝てえ時に寝て、誰にも文句はつけさせねぇ、気に入らねぇ事があればたちまちナイフで片ぁ付けるのさ』では、国の近代化にはついていけないのでは、と突っ込みを入れたくもなります。まぁ、全てのガウチョがこうである筈もありませんが… 男がコンチエッタに踊りを申し込む辺りから、雰囲気が殺伐としてきます。さすがのペッピーノも、ここはやはり父親でしょう。銃を出し男に向け、更に殺気がます。結局は撃てないペッピーノですが、銃を拾い今度はマルコが男に銃を向け、最終的には撃ってしまいます。ここでの緊迫感が実にスリリングで楽しめます。事態が変わるたびに、ジュリエッタの泣き声が入るのですが、段々それが強くなって雰囲気を醸し出しています。最後のマルコの発砲で、悲鳴同然の泣き声になるのが、実に良い感じです。この最高潮の盛り上がりの中で、待ってましたと言わんばかりにカルロス登場しますが、ここでの間の取り方が良いです。マルコが銃を向けるシーンから、レストランの近くを通りかかるカルロスのシーンがあります。その中再びレストランの中のシーンに移りますが、レストランの時間の流れを追いますと、まずマルコが発砲します、怒った男がマルコに詰め寄りますが、ここでペッピーノが男に飛びかかってあっけなくはね除けられるという、1アクションがあります。ペッピーノをはね除け、再びマルコに詰め寄ろうとすると、ドアが開いていてカルロスが立っているのです。 この間、外にいるカルロスの行動を考えると、マルコの放った銃声で異常事態に気付いた訳ですから、気付いてから店の扉を開けるまでは、ある程度の時間が必要です。ですから、ペッピーノの1アクションが必要な訳で、空間と時間の連続を表現する高畑作品らしさを観ることが出来ると言えるでしょう。さて、ここからはカルロスのバイオレンスショーの始まりです(笑)。こういうシーンは高畑作品では結構珍しいですよね。三千里では男臭い男が珍しくない事は、以前から書いてますが、他の高畑作品でも、こういうキャラクターは決して珍しくありません。しかし、こういう暴力のシーンは珍しいです。簡単に思いつくのは『じゃりン子チエ』位でしょうか。ですが、ここでのカルロスのバイオレンスシーンは、シンプルながら良い出来です。特に、腕をねじ上げナイフを奪うシーンが、実にリアルな雰囲気で、痛みが伝わってきます(図3)。腕をねじ上げる、カルロスの無表情さも良い!パンチの強さも格好良いですし、短くシンプルな台詞もしびれます。 まぁ、バイオレンスショーと言いましても、まさか『北斗の拳』のようなバイオレンスシーンがある訳でもなく、非常にシンプルにまとめられています。それでも、このシーンが非常に爽快感のあるシーンになっているのは、これ以前の非道さの描写が実に丁寧にされているからでしょう。これもホルスから続く、高畑演出の味と言えるでしょう。 ちなみに、狼藉者のガウチョがペッピーノにからむシーンから始まる、この緊迫感溢れるシーンですが、ほとんどBGMがありません。高畑監督は、『天空の城ラピュタ』のプロデューサーを勤めた事がありますが、音楽に詳しくない宮崎監督に代わって、音楽上の演出を担当しています。この時、BGMを全く無くすというアイデアを考えていたそうです。BGMを排する事によって、観客をその場に立ち会わせる事が出来ると考えたそうなのですが、この演出法は観客を酷く疲れされる事になるらしく、結局は止めたそうです。このシーンにほとんどBGMが無いのも、同様の演出意図を狙ったと考えられます。暴力の生々しさを伝え、その場に観客を立ち会わせる効果を狙ったのでしょう。強いところを見せつけ、カルロスは”シェーンカムバーック”よろしく格好良く去っていきますが、はしゃぐレストランの店主、ホッとする女達をよそに、レストランに佇む、女を守ることが出来なかった、うらぶれた男が2人(図4)。身につまされますなぁ…いえ、あんな無法者を相手に、ペッピーノもマルコも良くやったと思いますよ。でも、やはり、ああいう時の男は、勝たなければ意味がないのです。マルコより更に惨めなのが、恐らくはマルコ以上に傷ついていて(なんせ娘を守れなかったのですから)、労いの一つ言葉もかけて貰え無いながらも、気を晴らす事に努めるペッピーノ姿でして、その姿に大人の寂しさが見れますね。馬車の中で言った、 『大人になればなるほど寂しいもんさ』という台詞が染みますなぁ…これの進化系が、『となりの山田くん』の暴走族のエピソードなのかもしれませんね。 さて、今回最大の名シーンは、最後のマルコの呟きからラストまでですね。礼を言わなかった事を気にかけるマルコに、本物のガウチョ、ドン・カルロスは、そんなマルコの気持ちだって判っていると伝える、レストランの主人。このシーンでは、カルロスは何も語らず、星空をバックにただ馬に乗っているカットが3カット入るだけですが(図5)、カルロスの格好良さがジンワリ胸に染みこんでくる名シーンです。特に、音楽が最高ですね。ところで、ラストシーンのカットですが、これは実に三千里らしく、紹介せずにはいられませんね(図6)。 |
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