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第40話第42話

第41話『かあさんと帰れたら…』

 マルコの汽車での旅は、今回で2回目。第37話『はてしない旅へ』以来です。しかし今回は、前回の主題歌を流して終わりというような簡単なものではなく、ほぼ一話を費やして、非常に丁寧に描かれています。ただ、旅の最中に何か全体のストーリーに影響するような事件が起こるわけではなく、つまりは高畑アニメに良く見られるパターン、ストーリーが無い回です。でも見応えがありますね。さすが三千里と舌を巻きます。

図1、臨時市場となる駅、う〜ん三千里 ところで今回の汽車の旅ですが、前回の物と違い原作には登場しています。原作でのマルコの旅のルートはアニメの、ジェノバ→リオデジャネイロ→ブエノスアイレス→バイアブランカ→ブエノスアイレス→ロサリオ→コルドバ、といった複雑な物ではなく、ジェノバ→ブエノスアイレス→ロサリオ→コルドバと、といったルートですから。バイアブランカからブエノスアイレスへの汽車の旅が、原作にあるはずもありません。しかし、今回の原作に存在する汽車の旅も、アニメとは大きく異なっています。今回の旅の面白さは、短いながらも色々な人との出会いですが、原作にはそれがありません。原作を一部引用してみたいと思います。
 あくる朝、日が昇るころには、マルコはもう、元気よく笑顔で、コルドバに向かって出発していた。きっといいことがあるにちがいないと、期待に胸がふくらんだ。けれどうきうきした気分も、気味のわるい自然の風景がつづくと、長くはもたなかった。空はどんよりとして、灰色だった。列車は、がらがらのまま、およそ人の暮らしている気配すら見えない、どこまでもつづく草原を走っていた。
図2、個室となっている、一等車両 原作ではここでの汽車の旅が、マルコの苦難を演出する作りとなっていますが、アニメではマルコの不幸と苦難は、他で嫌というほど描かれているので、ここでわざわざやる必要はありません。と言いますか、何か『クオレ』の作者、アミーチスってアルゼンチンに悪意があるような気がしますね(笑)。『気味の悪い自然の風景』というのは、あんまりですし、全然人が乗っていない、まるで幽霊列車であるかのような描写にも、ちょっとひっかかる物があります。まぁそれはともかく、アニメではむしろ明るい印象で汽車の旅が描かれています。次回予告でも紹介された、3人の子連れの母親を筆頭に、楽しげなシーンが多く描かれています。これで、最後にコルドバでメキーネスがいなくて、悲鳴のような泣き声をあげるマルコさえなければ、なかなか爽やかな回になったんですけどねぇ…(笑)

 さて、マルコの列車の旅ですが、一般的な感想としては、やはり親子連れが際立つのでしょうか。席を探してうろうろするのも楽しいですし、結構仲良くなって、マルコが荷物を窓から出してあげるのも良いです。仲良くなるきっかけの、アメデオの使い方も良いですし、母親がマルコの事を誉めた時の、長男の強がりも面白いですね。とは言っても、この親子の役割は、この母親の姿にアンナの姿を重ねるマルコだと思います。でも、こういう重要と思われるシーンを任されている親子よりも、他のシーンの方が私は好きなんですけどね。

図3、豪華な食堂車 まずは、途中駅の描写が良いです。蒸気機関車の水を補給する描写も捨てがたいですが、ここは駅の乗客目当ての物売りが来ていて、ちょっとした市場になっているところでしょうか(図1)。やはり高畑作品は、こういった描写が実に楽しい。旅に疲れた乗客の一息ついている雰囲気も良いですし、売る側の雰囲気も楽しいです。列車が来ない時には、恐らく人などいないのでしょうが、列車が来ると、今まで存在していなかった市場が急に出現して、また列車が去ってしまうと、何事も無かったように、閑散としてしまうのであろうと、容易に想像できるところが、魅力的です。それだけではなく、列車が来るのにあわせて、売る物を用意している姿すら想像できますね。ちなみに、アニメではこれだけ活気がある駅の描写ですが、原作では以下のようになっています。えらい違いですね(笑)。
 鉄道の駅は、どれも草原のなかにぽつんとあるだけで、まるで世捨て人のすみかのようだった。汽車がとまっても、ひとの話し声ひとつしなかった。迷子になった汽車にのって、ひとりきり、荒野のどまんなかに置き去りにされたしまったみたいだった。駅にとまるたびに、これが最後の駅で、これから先は、未開の人間たちの暮らす謎めいたおそろしい土地に入っていくのだと考えた。
 さて、この駅でマルコは、水を飲んでいたために、乗車が遅れ汽車に飛び乗ることになってしまいますが、この後の描写がちょっと苦笑してしまいます。飛び乗ってしまったため、自分が座っていた車両と違う車両に乗ってしまったマルコですが、その車両はいわゆる1等車両でした。ジェノバからリオデジャネイロへのフォルゴーレ号にも、1等船室があると思われる描写はありましたが、今回ではそれの存在がキッチリ描かれています。個室になっている客車も雰囲気が出てましたが(図2)、やはり印象深かったのは食堂車でしょう(図3)。美味そうな肉を食べる客と、あまりの雰囲気が違う事に面食らうマルコの表情が面白いです。でも、食堂車で食事するよりは、例えそれが高級料理であったとしても、列車を降りて即席市場での食事のほうが、旅の醍醐味というソースがかかっていて、より美味いと私は思いますけどね。

図4、召使いを踏み台に! しかし、このシーン(正確にはこのシーン関連)で一番面白いのは、駅でも無いのに列車を止めさせる、金持ちお嬢様ですね。あんなところで、自分の都合だけで列車を止めさせるの凄いですが、その後召使と思しき男を、四つんばいにさせて馬に乗るこのお嬢様の印象の悪さは(図4)、まさしく最悪のものと言えるでしょう。同じ金持ちのお嬢様でしたら、第37話のアメリア・セバーニョスがいますが、同じ金持ちでもえらい違いです。

 このシーンで面白いと感じたのは、3点ほどあります。まず1つ目は、食堂でこのお嬢様は、既に登場していますが、顔が普通に可愛い顔をしていまして(図5)、『キャンディ・キャンディ』のイライザのように、性格の悪さが顔に出ているという物ではありません。その辺が、この名も無いキャラクターに、リアリティーを与えていると思います。

 2つ目は、馬に乗る時の視点が、マルコの視点で豆粒のような小ささで描かれているところです。この客観的視点とも言える視点が、アップで写される以上に、このお嬢様の嫌らしさを観客に伝えています。高畑作品では、しばしば見られる描写法ですね。三千里ですと、駅員に殴られるパブロとか、『赤毛のアン』の屋根から落ちるアンとかです。

図5、なかなかの美少女、でもあの性格では、(;´Д`) ハァハァできませんなぁ… 最後は、用意された馬車には乗らず、自分で馬に乗り、迎えに来た召使が馬車に乗るところです。このシーンで、このお嬢様はいわゆるお転婆娘で、非常に活動的な性格をしていることが判ります。これだけしか登場シーンが無く、しかもこれだけしか描写が無いのにも関わらず、キッチリ性格が観客に伝わってくるのは、さすが三千里と、舌を巻くしかないでしょう。しかし、このお嬢様の描写を含んだ、1等車両の描写からは、ブルジョアvsプロレタリアート的な思想を垣間見えてしまい、当時ならともかく、今の時代にはそぐわないきもします。こういったところには、ちょっと苦笑してしまいます。

 そして旅の描写の最後になり、私が一番好きなのは、見た目に似合わず親切な3人組です。ここはかなり原作に忠実でして、若干発展させたような作りになっています。原作では、マルコとは別の席に座っていて、向こうからマルコに近づいてきます。ですが、アニメのほうでは、ふとマルコが目を覚ますと、3人に囲まれているという、よりドラマチックな作りとなっています。しかし、違うのはここくらいで、後は大体一緒ですね。このシーンで、まず私が好きなのは、彼らの顔です。もういかにもな、顔にでかい傷があったりとか、アイパッチをしていたりとか、まるで昔の少年漫画に出てくるような悪役面がナイスすぎます(図6)。男臭さオヤジ臭さが堪りません。オヤジアニメ三千里ならではの味わいです。

図6、見よ!この人相の悪さ、マルコでなくてもビビリます そして、こんな風体にも関わらず、結構優しいところがまた憎い。怖い顔していて実は優しい、というパターンは、フランケンシュタインでもおなじみのパターンなのですが、ここで面白いと思うのは、彼らの声と話し方です。このフランケンシュタインパターンのキャラクターの声及び話し方は、大抵の場合その風貌にあわせた、いかにもな物になる場合が多いのですが、ここでは違います。パニックに陥るマルコを見て、なだめる時に彼らは初めて台詞が出ますが、”アレッ?”と思うくらいに、非常に普通な声と話し方を聞かせてくれます。これが実に良い。いわゆるところのフランケンシュタインパターンとは、ちょっと違った味わいを味わえます。よりリアルな印象を感じますね。

 さて、今回最大の名シーンですが、これだけつらつらと旅のシーンについて描いていながら何なのですが、冒頭のフェデリコとジョバンニとの別れのシーンをあげたいと思います。実はこのシーンで流れる音楽は、私が三千里で最も好きな曲です。ところがこの曲はかかるシーンが少なく、更には、結構長いため、かかっても短く編集されていることが、ほとんどです。しかしこのシーンでは、フルコーラスかかってまして、非常に嬉しいシーンとなっています。また、長い曲が全部かかるという事は、このシーンが長い物になっているという事でして、非常に丁寧に別れが描かれているのです。そしてここでも、前回のラストで示された三千里のテーマのひとつ、人から受けた親切が巡り巡る、が語られていまして後のマルコの行動を暗示するという意味でも、味わい深いシーンになっていると言えるでしょう。

©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976

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