さて、三千里もう一人のヒロイン、フアナの登場です。きっとファンの方も多いでしょう。私も好きです。勿論、一人目はフィオリーナですが、ここで私がフィオリーナと比べても、フアナを重要なヒロインと言うのは、昔の深沢一夫のインタビューからです。このインタビューについては、文献が手元に無いので(もしくは見つからない)記憶頼りになってしまうのですが、『花という名のヒロイン達』と深沢一夫が呼んでいて、それから思い入れのある重要なヒロインなのだと判断する事が出来ます。良いですねこの言葉。これを読んだ当時、かなりしびれた記憶があります。この時は、これを読んだだけで満足していたので、どこかの外国語で花の事をこういうのだと思っていたのですが、この機会にと、少し調べてみました。 まずはフィオリーナですが、この文言で検索すると、三千里のフィオリーナと、ヒューレット・パッカードの女性CEOカーリー・フィオリーナと(笑)、花のフィオリーナがヒットします。花のフィオリーナの場合は、大抵は花屋のホームページでして、フィオリーナというのが花の名前だという事がわかります。なかなか可愛らしい花ですね。しかし、フアナが出てきません。アレレ?、と思ってよく調べてみると、沖縄本島の中部では、花の事をファナと呼ぶ事が判りました。もう、(゚Д゚)ハァ?、ですよ(笑)。ものの見事に私の予想ははずれまして、まぁフィオリーナの方はまだ判るとしても、インディオの少女の名前に琉球弁を使う深沢一夫のセンスには、いやはや驚きました。いえ、なかなか面白いと思いますね。語幹もきれいだし。まぁ、フアナの事は後で書くとして(私は好きな物は後で食べる派)、今回やはり重要なキャラクターであるパブロについてまず。まずは、『レッツ、ダチ公』のような、”タイマン張ればダチ!”的な出会いが良いです。マルコの無茶苦茶気が強い性格も惹かれますが、喧嘩の雰囲気が実にリアルなのが素晴らしいです。アニメにおける喧嘩は、大抵の場合マンガ的なデフォルメがされていて、それは別に悪いとは思いませんが、三千里におけるそれは非常にリアルで、暴力が持つ雰囲気が出てます。他の回でも、第4話『おとうさんなんて大きらい』での同級生に噛み付くマルコや、第30話『老ガウチョカルロス』でのカルロスなどがそうですね。誇張の少ないシンプルさが、要因でしょうか。後は、食べ物を投げつけるが、煽りとして非常に良いと思いました。しかし、パブロが拾っていた残飯の汚さは、かなりリアルでしたね(図1)。あれを拾っているんですから、マルコが見つめてしまうのも、無理が無いですね。 金持ちが馬鹿にして見ているのでは無い事が判った後の、パブロの人懐こさもまた良いです。人懐こいというか、あそこまで行くと馴れ馴れしいと言った方が正解でしょうか。パブロの家までの道のりでの、二人のやりとりが、胸にしみます。台詞の間の取り方とか、目線の動きが良い雰囲気を醸し出してますね(図2)。『母さんがブエノスアイレスにいてくれたら、僕はもうとっくに』と言うマルコに『でもよ、そのおかげでお前、面白い旅が出来たじゃねぇか』と答えるパブロと、そんな事は考えた事も無かった、と言わんばかりの表情を見せるマルコが良く、また最終回のマルコの名台詞への伏線にもなっていますね。最後まで躊躇するマルコの肩を抱き、家へうながすパブロの『だったら帰ろうぜ、飯もあるしな』もまた名台詞です。そしてマルコは、パブロの住む家に案内されますが、このインディオ達の住む貧民街が、正しく三千里と言うべき雰囲気に溢れてます。特に素晴らしいのが、屋根の壊れている家にも、明かりが灯っていて、人が住んでいる雰囲気がある事ですね(図3)。貧しくても、人間の生活する空間がそこには描かれています。狭く貧しい家も、生活ができる空間であればそれはなかなか楽しい物です。老ガウチョカルロスが住む小屋も、同様の雰囲気がありましたね。それが無かったのは、フランチェスコ・メレリの住む窓の無い小屋くらいでしょうか。 私が中学生の頃に、両親が家を建て替えまして、建築中は狭い貸家を借りていましたが、当然一人部屋も無く、寝る時は家族全員で川の字になって寝ていましたが、引っ越してすぐは、狭いなぁ、と感じましたがあっという間に慣れましたね。さすがにパブロの小屋ほどは貧しくはありませんでしたが、狭くても楽しい我が家、という物をそこで実に強く実感できました。懐かしい思い出です。後、懐かしいといえば、三千里とは全く関係ありませんが、私がお腹を壊して急いで帰ってくると、家に誰もいなく、しかも鍵を持っていなかったので、仕方なく大家さんの家でお手洗いを借りたのですが、その時はまだ一月だったので、お年玉を頂いたが嬉しかったなぁ…私は3兄弟の長男なんですが、もらったのは私だけです。お腹を壊して良かったと思ったのは、後にも先にもこの時だけですね(笑)。また話しがすっ飛びましたが、このシーンの小屋の中の生活描写というと、パブロが作ってくれる残飯シチューを外す訳にはいきません。残飯を見ていたマルコですから、薦められながらも躊躇するのは当然なのですが、しかしあまりにも美味そうに描かれています。その後、貪り食うマルコの演出も、味の演出としては見事ですが、やはり鍋の中のシチューの絵ですね(図4)。残飯シチューですら美味そうに描写出来る。恐るべし、グルメ演出家高畑勲と言うしか無いでしょう。味の描写も良いですが、火を囲んだシーンの暖かさも、また良かったですね。 さてさて、そろそろ琉球弁での花の名を持つ、フアナについて書きましょう。冒頭に書いたように、可愛らしく実に魅力的なキャラクターではありますが、さすがにフィオリーナと違い、(;´Д`) ファナタン ハァハァとはなりません(笑)。高畑作品では、ハイジやチエと同類の可愛さですね。初登場の時の、アメデオとたわむれる姿の可愛らしさは、定番中の定番と言えます、ジャブとしては十分でしょう(図5)。アメデオに触れる時、ちょっと怖がって躊躇する演技なんかは、実に細かくて素晴らしいです。 また、来客を喜ぶ人懐っこさも可愛い。ここら辺はさすが兄妹と言えます。フアナの可愛さに騙されてしまいがちですが、大事な用があるマルコに、いつまでいて欲しいと、なかば強要的に頼む姿が、そっくりですね(笑)。パブロだと、単なる馴れ馴れしい奴、にしか見えないのに、フアナだと凄く可愛く見えてしまうのは、実に不思議な現象といえるでしょう(って別に不思議でも何でもありませんが)。とまぁ、可愛さが目立つフアナなのですが、パブロとフアナのエピソードで非常に重要になる、フアナの風邪の描写にも、リアルな感じが良く出ています。普通のアニメだと、風邪をひいているキャラクターは、それこそいかにも、風邪をひいてふらふら〜、と病人病人していますが、実際の病気は決してそうなる物ではありません。例え風邪をひいていたとしても、と言いますか、風邪をひいていて不自由な思いをしているからこそ、少しでも楽しさが欲しいと、人は思う物です。ですから、風邪が治ってないのにも関わらず、はしゃいだり、遊びに出たりして、一生懸命楽しもうとしてるフアナは非常にリアルです。また、咳も仕方も非常にリアルで、特に夜の寝苦しさは、子供の頃喘息持ちだった私から見ても、非常に感じが出ていると言えるでしょう。 非常に見所が多い、パブロとフアナのエピソードですが、それ以外にも久々のアルゼンチンの風土を感じさせる描写があったのは、嬉しいですね。パブロとマルコが逃してしまうアルマジロですが、体調を考えると、恐らくはオオアルマジロなのではないでしょうか。オオアルマジロは、哺乳類・貧歯目・アルマジロ科の動物で、三千里で示されているように、南米に生息しています。一般にアルマジロというと、体を丸めて身を守るイメージがありますが、このオオアルマジロはそれが出来ません。しかし、前足には20cmもの爪があり、もの凄い勢いで穴を掘って逃げてしまうのは、アニメの通りです。なお、この動物も、ワシントン条約で保護の対象になっており、しかも、商取引の取引が禁止されていて、学術研究用だとしても、輸出国の輸出許可書と輸入国の輸入許可書、双方が必要な付属書Tの対象になっています。ようは、絶滅の危機に瀕している動物なのです。う〜ん、三千里に出てくる動物は、やたらとワシントン条約と縁がありますねぇ。 パブロが楽器に使われると言ってますが、その楽器は、15世紀にヨーロッパから伝わったギターを元に南米の人たちが作り上げた、フォルクローレでは欠かせない楽器、チャランゴです。駅前のストリートミュージシャンに、結構フォルクローレを演奏するグループがありますから、結構多くの人が目にしているはずです。アルマジロはどこに使われるかと言いますと、何とも大胆にボディそのものに使われています。さすがに表板は、アルマジロではありませんが、ひっくり返すとアルマジロそのもののボディは、はっきり言ってかなり強烈な印象を、見慣れていない人に与えるでしょう。少なくとも私は衝撃を受けました(笑)。 さて、今回最大の名シーンですが、マルコと一緒に寝るフアナに尽きますね。好奇心満々で、マルコの旅の話しを聞き、楽しそうに、特に船と汽車に乗った話しを、憧れの気持ちを見せるフアナは、本当に素晴らしい。そして、『行ったり来たりしてるのね』というフアナの言葉に、グッとシリアスな表情を見せ、その言葉を噛みしめるマルコが、強く胸を打ちます(図6)。音楽も良いです。 |
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