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第44話第46話

第45話『はるかな北へ』

 いわゆる、日曜フジテレビ系7:30の『カルピスまんが劇場』の流れは、1969年4月6日放映、手塚治虫原作の『どろろ』からが始まります。その後『ムーミン』で西洋の児童文学を取り上げるようになり、この路線の一番ベーシックとなる部分が決まります。その後『アンデルセン物語』『新ムーミン』『山ねずみロッキーチャック』と続きますが、やはり路線確定と言える、一番インパクトのあった作品という事になると、この後に放映された『アルプスの少女ハイジ』でしょう。スポンサーの変化もあって、『カルピスこども劇場』『カルピス名作劇場』『世界名作劇場』『ハウス世界名作劇場』と名前も変化して行きましたが、作風はあくまでも『ハイジ』で作られた物を、ほぼ守っていたと言えるでしょう。

牛車の頭領、渋い! このシリーズの主人公はほとんどが女の子というイメージがあります。しかし実際に調べてみますと、『アルプスの少女ハイジ』から最後のシリーズとなる『家なき子レミ』までの24作品中、男の子が主人公の作品は、『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『トム・ソーヤーの冒険』『小公子セディ』『ピーターパンの冒険』『ロミオの青い空』『名犬ラッシー』8作品です。つまり、3分の1は、男の子が主人公なのですが、『世界名作劇場といえば、女の子が主人公』というイメージを感じる理由の1つとして、最初の作品である『アルプスの少女ハイジ』の印象が強い所為でしょう。このイメージは、恐らく作り手側も感じていたようで、最後の作品となった『家なき子レミ』は、原作の主人公が男の子であるにも関わらず、アニメでは女の子になっていました。

 そうした、女の子のイメージが強いこのシリーズですが、『母をたずねて三千里』はかなり男臭い作品と言えるでしょし、そこが私がこの作品が好きな理由です。マルコの旅は、シリーズ全体を見た場合、いくつかに分ける事が出来ます。『フォルゴーレ号編』『ミケンジェロ号編』『ペッピーノ一座の馬車編』『アンドレア・ドリア号編』という具合にです。そして今回からは『牛車編』ですが、この牛車隊の男達の男臭さが、私は非常に好きです。一番は当然頭領ですね(図1)。声も渋いし。ただ、ちょっとカルロスとキャラがかぶるかな、という気もしないわけではありませんが(笑)。まぁ、牛車隊の男達については、本格的な旅に入る、次回以降から詳しく書くとしましょう。

図2、車掌の隙をつくマルコ さて、実に男臭い魅力を発揮してくる、牛車隊の男達ですが、マルコと彼らとの出会いには、若干の不満点があります。それは、三千里という非常にリアリズムを重視した作品にしては、いささか偶然にしては出来すぎている点です。第40話『かがやくイタリアの星一つ』でのフェデリコ爺さんとの再会についても、同様の要素がある事は、少し書きました。そしてこの時は、原作がそうであるから、ある程度は仕方が無いと書きましたが、今回は原作とも出会いか方が違います。マルコはコルドバの街で、メキーネスの引っ越しの事実を知り、商隊をコルドバに住む老婆に教えて貰います。しかしアニメでは、列車から放り出され、線路沿いから離れたあげくに、休んでいる牛車隊に会うのです。何にもないアルゼンチンの大平原、しかも目印といえば線路くらい。水を求めて線路から離れ、川が見つかるのも凄い偶然ですが、そこで牛車隊に会うのは、それ以上の偶然と言えるでしょう。普通ならば、マルコはのたれ死にです。勿論、作り話なのですから、こういう偶然はあったって構わないといえば構わないのですが、やはり三千里のようなリアルな作品では、このような偶然は似合わないと言えるでしょう。この点については、正直不満がありますね。

 とまぁ、不満点を先に述べさせて貰いましたが、気に入らない点は以上だけで、後は充実した内容になっています。今回マルコは、せっかく途中まで上手くいっていたのに、不運な偶然が重なって、列車から放り出される羽目に陥るのですが、ただ唐突な偶然による不運ではなく、その理由がしっかり示されているのが、さすが三千里と唸らされます。(ですから、牛車隊との出会いの唐突さが不満なのですが…)車掌が、あれだけ念入りに、貨物車のチェックをしているのは、同僚とのポーカーに連敗して、すっかりカモられているからなのです。あれだけ万全を期したはずのパブロとマルコの企みが失敗してしまった理由としては、非常に納得できる物と言えるでしょう。

図3、マルコ視点、豆粒のような車掌とパブロ また、もう一つの不運は、アメデオが車掌に見つかってしまった事なのですが、これだけのエピソードでは、この回でのアメデオは、観客からは単なるトラブルメーカーに見えまてしまいます。これでは、ストーリーの都合上の為だけのキャラクターとなってしまいかねません。しかし、牛車の頭領に、途中まで乗せて貰う事をお願いする時、『頭領、面白い猿と一緒ですぜ』と、アメデオのおかげで援護射撃を受ける事が出来ます。これにより、観客のアメデオの印象は、災いも福も、両方もたらせる事があるという、良い面もあれば悪い面もあるキャラクターになっていると言えるでしょう。ここら辺のバランスの良さも、三千里ならではと言えるでしょう。

 しかし、こういったシーンの面白さもありますが、何と言っても今回の最大の見せ場はパブロの友情、正しく男の友情と呼べる前半部分のでしょう。非常に充実した内容でした。汽車に乗り込むまでの、まるでスパイ映画のような緊張感が、まずはたまりません。汽車の陰から様子を伺う2人や、車掌がポーカーに興じている間に、外を走り抜けるマルコが(図2)、スリル満点です。

 そしてハイライトは、車掌に見つかってからの、パブロです。大事な妹フアナの命の恩人を助ける為に、正しく身を張ってマルコを汽車に乗せようとするパブロ。執拗な車掌の見回りに対し、自分に注意を引きつける姿は実に男らしい。結局車掌に捕まってしまい、パブロは酷い目にあってしまうのですが、ここでの暴力描写が実に高畑監督らしいです。暴力描写を痛々しく見せるには、普通ならば打撃音、暴力が行われているシーンを、出来るだけ迫力を出すように見せるのですが、ここでは一発目の音があるだけで、後はマルコの視点で(図3)、遠景で見せかつ遠距離だから当然と言わんばかりに、音は全くありません。

図4、勝利をもぎ取り、誇らしげなパブロ、イカス〜♪ しかしこれが実に生々しい。確かにパブロを打ち据える車掌は豆粒みたいに小さく、観客の耳には、その音は聞こえては来ません。しかし、観客の心の耳には、実際に聞こえるよりも遙かに大きな音で、パブロを打つ音が聞こえるのです。マルコの息を殺した悲鳴も、流す涙も観客の心に強く響きます。正しく名シーンですね。そして、傷だらけになりながらマルコの乗った汽車に見送るパブロの表情は、晴れやかで誇らしげです。大きな使命を成し遂げた後のさわやかな笑顔であり、体中の傷は、正しく男の勲章と言える物でしょう。(図4)

 そして、このシーンは音楽も印象的です。ここまでのスパイ大作戦さながらのスリリングなシーンには、全く音楽が流れません。スリル感を表現する音楽を入れるという演出法もアリだとは思いますが、やはり高畑流はここでは音楽を流さないのでしょう。そして、緊張感をグッと高めた後、ミッション終了時に流れるさわやかな音楽は、観客の心に強く響くのです。この音楽の演出法が、パブロの誇らしげな笑顔の素晴らしさを、更に際立たせていると言えるでしょう。

図5、上部にタップの穴が… さて、今回最大の名シーンは、遠景で打ちのめされるパブロですね。実に高畑監督らしい表現で、かつその効果の素晴らしさにも、舌を巻きました。ところで、男らしさと言えば、結局途中で見つかり放り出されるマルコが、一言の泣き言も言わなかったのが良いですね。こういうやせ我慢が、男の子らさを見せてくれました。更にちょっとあら探し。この図の上部にある(図5)、タップの後は何なのでしょう?(笑)う〜ん、ちょっと意地が悪いかも…

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