三千里の評論はそれなりの数がありますが、今回様々な魅力を見せてくれる牛車の男達、頭領、マニエル、ミゲル、彼らについて語られている物は、あまり見かけません。1つの山場であった、パブロとフアナのエピソードと、クライマックスの間に挟まれている所為なのか、それとも、別の理由があるのか。私は、この牛車の男達に、魅力を感じるファンが少ないからだと思います。世界名作劇場のシリーズは、名作児童文学を原作にしているから当然なのですが、大抵雰囲気が上品な物となっています。”名作”の名を冠していますから、当然ですね。ですから、このシリーズのファンの多くが、その上品さに惹かれているとしても、不思議ではないと思います。しかし、牛車の男達は、はっきり言って上品には程遠い、ガラの悪い男達です。ガラが悪いと言えば、カルロスに退治されるガウチョなどもそうなのですが、ドラマの中で否定的な表現をされているガウチョと違い、牛車の男達はマルコと一緒に旅をし、かつ肯定的に描かれています。そういう意味では、肯定的に描かれている最もガラの悪い者達、というカテゴライズが出来るでしょう。このガラの悪さが原因で、三千里のシリーズの中での彼らの人気が低いと私は考えていますが、たびたび当コラムで書いてますが、三千里の男臭さが好きな私としては、三千里ではあまり注目されているとは言えない彼らが、私はかなり気に入ってますね。 ちなみに、今回は原作ではしっかり出てきていて、三千里には珍しくある程度、原作に忠実に作られている回と言えます。1つの牛車が6頭の牛で引かれている事、スペアの牛が後からついてきている事、交代の牛が、後から付いてきている事など、原作通りの描写が見られます(図1)。頭領が親切なのも同じ。但し、マニエルは登場しませんし、親切描写もアニメの方とは結構違います。他に目立つ違う部分となると、マルコが病気になってしまう原因です。原作ですと、牛車隊の男達にこき使われるのと、揺れの激しい牛車が原因になってますが、牛車の揺れが原因の一つであるところは同じなのですが、アニメの方では、今までの旅が原因となっています。確かに、あれだけ過酷な旅をしてきたマルコが、病気にならないのは不自然ともいえます。このタイミングで、旅に疲れたマルコが病気になってしまうという展開は、シリーズ構成としても見事だと思います。アニメの方がよりリアリティがあると言えるでしょう。 さて、今回の見所の1つは、牛車隊の労働描写です。当コラムで何回も書いてきましたが、労働描写は高畑作品にとって非常に重要な要素です。今回は、細かい牛車の描写が楽しめまが、まず目を引くのが、牛達が引く荷車の、凄まじいまでの重さです。牛をけしかける男達と、大きな声で吼える牛達。そして、重さで土にめり込んだ車輪がゆっくり動く様は、なかなかの迫力です。この描写で、牛達の負担がいかに凄いものであるが観客に伝わってきますし、スペアの牛がいる事に、強い説得力を持ちます。 男達の労働描写もしっかりしていて、怠けた牛を煽るマニエルや、夜中にランプをぶら下げるなど、この仕事の雰囲気が良く伝わってきます。また、これは直接の労働ではありませんが、荷車の下で昼寝をして、体をしっかりと休めている描写が、彼らの仕事が非常に体力的に辛い物である事を、表現していると言えるでしょう。そして、この過酷な労働描写が、彼らは非常に疲れていて、その所為でストレスが溜まりイライラしている事が表現されています。マルコやアメデオに対する、意地悪な行為もストレスの発散である事を、見て取ることが出来ますね。ところで、この昼寝のシーンですが、スタッフ達は、アルゼンチンでの取材で、黒いまでに青いアルゼンチン空に驚かされた事を語っていますが、それがキチンと描かれています。南米の広大な平原、そして青い空。特に空の色が実に素晴らしく、正しく”黒いまで青い”空でした(図2)。南米テイストが感じられる、非常に良い描写です。 マルコの労働描写も、キッチリ描かれていて、雰囲気が出てます。ランプを磨くマルコも、水をくむマルコもツボをついています(図3)。病気の体で働くマルコは、痛々しいですね。また、なかなか言う事を聞いてくれない、年寄りロバを、なだめるところなど、雰囲気が出ていてリアルです。このシーンで、ミゲルは病気のマルコをいたぶりますが、あくまで勝ち気なマルコが実にらしくて良いですね。また、この後活躍する、老ロバがこの時点でキチンと紹介されているのが、三千里らしい作りの良さと言えます。 冒頭で書いた、不人気の原因と思われる男達の野蛮さですが、一番目立つのはやはり、鞭でアメデオをいたぶるミゲルと、それを喜ぶ男達ですね。まぁ、観客から見て、確かにあまり良い印象は持てないでしょうな(笑)。また、子供っぽさが表情に残るマニエルも、ミゲルのマルコへの仕打ちを見て、いきなり喧嘩を始めてしまうのが何とも。しかもただの殴り合いではなく、いきなりナイフでの決闘です(笑)。また、審判が非常に手馴れていて、彼らがしょっちゅうこんな事ばかりやっているのがよく判ります。結局は頭領に見つかって、決闘は中止になってしまいますが、掟を破って私闘をした2人を、鞭打ちの刑を食らわす頭領がまた凄い。自分の為に戦ってくれたマニエルを、一生懸命庇おうとするマルコを一蹴して、自ら2人に容赦なく鞭打ちの刑を食らわせますが、荒くれ男達の頭領を務めるのは、このような男で無くてはいけないのでしょうね。こんな荒くれ男なのですが、病気のマルコを気遣う、頭領とマニエルの行動には、男の優しさが溢れており、実に素晴らしい。私はこれが大好きです。シスターシュプリアナやフィオリーナなどの、マルコを慈しむ女性の優しさとは、全く違う味わいを楽しむ事が出来ます。頭領もマニエルも、ぶっきらぼうな男らしい行為の中に、僅かに覗く事が出来る優しさが、実に味わい深いですね。頭領で言えば、休む事を強く命令するところとか、気の利かないマニエルを叱り飛ばすところですか。また、薬を与え必要最低限な言葉しかかけないのも良いです。この薬を与えるシーンでの、荷車に”ヒョイ”と乗り移るカットは、実にかっこ良く今回の頭領のベストカットと言えるでしょう。(図4) マニエルでしたら、額に濡れたタオルをかけてあげたりとか、マルコを虐めるミゲルに怒り決闘までしてしまうところも良いのですが、最後のシーン、鞭で打たれた痛む体をかばいながら、マルコを寝かしつけるマニエルに、が私は一番好きですね。そしてこのシーンでの、『マルコ、お前お袋さん探してるんだってな』という台詞と、マルコを寝かしつけた後横顔に、なにやら思わせぶりな雰囲気があるのも良く、もしかすると自分の母親に思いをはせているのでは、と想像できるところも好きです。もう既に職業人であるマニエルですが、顔などを見るとかなり若いと思われますので、彼の人生を想像してみるのもまた楽しですし、こういう想像が出来るのも、キャラクターがしっかり作られているからでしょう。ただ、母親については、私の考えすぎかもしれませんけど(笑)。男っぽいと言えば、頭領の命令でマニエルがマルコに作ってやる、肉のスープの描写がナイスでした。ナイフで無造作に切った肉をスープに入れ、そのままナイフでかき混ぜるところが、実にいい感じです(図5)。かつ、凄く美味そうで、高畑監督のグルメ演出家ぶりが、遺憾なく発揮されていました(笑)。 荒くれ男以外の描写で気になったのは、マルコの病気の描写です。熱にうなされる身もだえするマルコや、苦しそうな表情も、実に感じが出ていて素晴らしいのですが、この描写で一番私が取り上げたいのは、夢と現を行ったり来たりするマルコです。マルコは荷車に揺られながら、熱にうなされ車輪の音を聞きながらアンナの夢を見ますが、このシーンでは、夢のようなアンナの姿と、現実感の強い荷車の車内のカットが交互に現れます(図6)。普通は夢のシーンと現実のシーンは、切り替えるときにクッションとなるシーンを入れますが、ここではパッと切り替わります。この演出法は夢と現実のギャップ感を、非常に良く表現していて、何とも言えない(実際言葉では言い表しにくいです)味わいがあります。高畑監督は、このような描写をしばしば行いますが、映像作家高畑勲らしさを強く感じる演出法と言えます。さて、今回最大の名シーンですが、今回は全体的に満遍なく魅力があり、特に際立った名シーンを見つけるのが難しいです。ですから、ひねりも無くストレートにいきたいと思います。そうであれば、スリル満点のマニエルとミゲルの決闘シーンですね。今回の最大の魅力を男っぽい雰囲気としている私からすると、決闘というのはわかりやすい男らしさですから、自然にこれが挙がります。始めは挑発するような笑い顔を見せていたミゲルも、途中から汗だくの緊張した面持ちになるのも、リアルでよかったです。 ところで、マニュエルのギターの描写が少なかったのがちょっと残念でした。ほんのちょっと、聞ける哀愁のメロディーが非常に魅力的だったので、残念さもひとしおです。マルコの所為で、マニエルはギターどころでは無くなったので、マルコをちょっと恨んだりして(笑)。 |
©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976