三千里と言うか、高畑監督TV作品全体的に言えるのですが、次回に引く作りになっている物が非常に少ないです。ハイジや赤毛のアン等は、ある程度各話各話が独立しているというのがありますが、三千里は全体で1つのドラマになっています。しかし、それなりの話しの切れ目で終わっており、『巨人の星』のようなスポ根物に多い、強い引きを感じさせません。強い引きは、観客に次の話しを気にさせて、楽しませる効果が強い作劇手法ですが、観客を不安にさせてしまい、安心して楽しめないという欠点も持っています。高畑監督の演出ポリシーを推測すると、上記のような強い引きをあまり使わないのは、非常に納得できますね。但し、安心してみれると言う点になると、別の意味で安心して観れませんが(笑)。しかし、今回から最終話1つ前までは例外でして、非常に引きの強い話しとなっていて、エピローグと言える最終回を含めて、4話で1話といった構成になっています。今回は、足を怪我し雪道で行き倒れるマルコ、そこに聞こえる馬の足音。マルコの運命や如何に!といった感じで終わっています。別に他のアニメでは珍しくも何とも無いような引きですが、高畑作品では珍しいですね。珍しいと言えば、マルコが悪戦苦闘している間、病床で苦しむアンナが示されているのも、珍しいと言えますね。この『その頃○○○では…』とも言うべき作劇手法も、他のアニメでは全く珍しい物ではありませんが、高畑監督作品では珍しいと言えるでしょう。特にこちらの手法に関しては、時間と空間の連続性を表現する高畑監督にとって、珍し度がより高いと言えるでしょう。 このような手法を取っている理由として考えられるのは、最後の大団円に向けて、一気にスパートをかけるという演出意図もあるのだと思いますが、一番の理由は”原作がそうだから”というあまり格好良くない物だと思います(笑)。参考までに、原作を一部引用します。 眠ろうとして横たわった草の上で、マルコは、その星空をながめていた。すると、かあさんもきっと、いまこうしておなじ星空を見ているにちがいない、という思いがわいてきて、ことばが口をついてでた。まぁ、原作を大切にするという、しかも形だけでなく深く読込み理解し、その精神性も大切にする高畑監督の制作姿勢は、はっきり言って大好きですが、いつもの高畑監督の作り方に馴染みまくっている私から見ると、この作りに、ちょっと違和感を感じてしまうというのが、正直な感想でしょう。普通に考えれば、足を怪我し雪道で動けなくなったマルコと、その頃瀕死の状態になっているアンナが交互に示される、行き倒れて意識を失ったマルコと、遠くからかすかに聞こえる馬の足音、ここで次回に続く、こういう観客をハラハラさせる作劇手法に満ちたストーリーの方が、より魅力的に感じるのでしょうが、しかしそこは高畑アニメ、やはり描写の方により強く魅力を感じます。 まずは、相変わらずの独特な味わいを見せる、夢のシーンです。今回は夢のシーンは2つあります。1つ目はラモン・メキーネスの家にようやく到着したマルコが、玄関の扉を開けると、何故かカタリナが現われ、アンナの死を暗示させる台詞を吐きます。不吉なカタリナの台詞とその瞬間に目がさめるマルコや、夢のシーンの現実離れしたコントラストの強い画面と、薄暗くリアリティのある馬小屋とのギャップなど(図1)、以前にもコラムに書いた、夢と現実のギャップが楽しめる、独特な夢のシーンとなっています。もう1つの夢のシーンは、アンナの夢です。以前でも夢で登場するアンナは、全く魂を感じない抜け殻でしたが、今回も同様の物です。但し今回は他と違うのは、マルコとのスキンシップがある事です。スキンシップがある所為で、今までとちょっと違った印象がありますね。抜け殻の人形のようなアンナから、少しだけ人間っぽいアンナになります。しかし、最後の描写がなかなか憎かったですね。夢の中でアメデオがいないと気付いたマルコが、アンナの腕の中から離れますが、夢の中のアンナはマルコが自分の腕の中にいなくなった事に気付かず、架空のマルコを腕に抱きながら、去って行ってしまいます(図2)。この時のアンナは実に不気味で、非常に良いセンスだ思います。 しかし、高畑演出はやっぱり夢よりも現実。靴が壊れ左親指を怪我をするマルコのシーンの方が、より力があると思います。まず凄くリアルだと思ったのは、壊れた靴を布で修理するマルコです。靴が壊れて修理が必要になるという所から、今までマルコがしてきた旅から考えるに、非常に自然で説得力があります。そして、布を破って縛り応急の修理を行いますが、これが上手くいかないのが実にリアルです。それも当然で、靴は履く人間の体重が常にかかり、かついつも動いているので、かなり頑丈に直さないといけません。それをただ布で縛っただけでは、画面に示されている通り、すぐに抜け落ちてしまうのは当然でしょう(図3)。前回の、急がば回れ、が分かっていないマルコの失敗同様、人生初の長旅のマルコの旅慣れてない感じが、非常に良く描かれています。次回のマルコを助けてくれる旅人の靴の応急修理と、非常に良いコントラストになってますね。そして、なんと言っても今回の高畑調の真骨頂と言えるのが、石につまずき足の爪を割ってしまうマルコでしょう。私が『母をたずねて三千里』を”プチ”『火垂るの墓』と呼んでいるのは、このシーンのマルコの割れた爪の印象と、全身火傷の清太の母のイメージに、共通の物を感じるからです。”プチ”と言っているくらいですから、焼夷弾による全身火傷ほど酷い物ではありませんが、痛々しさの表現に似た部分があると納得していただけると思います。映像による痛さの表現は、非常に難しいと思いますが、このシーンでは、非常にリアルにマルコの痛みが伝わってきます。見事ですね(図4)。このシーンだけでなく、木の下で休むマルコが、怪我した足を見ている時に、つい傷口を刺激してしまい、痛みが体を駆け抜けるシーンも、見てるだけで痛くなるような名シーンと言えますね。あんまり名シーンと言いたくはありませんが(笑)。 でもまぁ、良くぞここまで、と高畑マニアである自分から離れて考えると、率直に思いますね。この方向の更に推し進めて、ある意味究極と言えるところまで到達しているのが『火垂るの墓』だと思います。私がスタジオジブリ作品で一番好きなのは『おもひでぽろぽろ』なのですが、一番凄いと言うか力があると思う作品は『火垂るの墓』だと思っています。ただ、この作品皆様も当然ご存知かと思いますが、あんまりにもあんまりな内容なので、好きになったり、何回も鑑賞したりとかが、なかなか容易に出来ません。実際、高畑作品を多く観ている私ですら、通してみたのは僅か5回です。と言いますかこの作品、映画ではありますが娯楽ではありません(笑)。『火垂るの墓』とまではいかなくても、今回のマルコのリアルな悲惨さは、ドンドン視聴率が落ちていった三千里を、非常に良く象徴していると思います。いくら何でも、雪まで降ってくるのはやりすぎなのでは、と少しばかり思います(笑)。そして、このマルコの身に降りかかる不幸が、決して大袈裟なものではなく、マルコがやり遂げようとしている旅を考えれば、むしろあって普通の事なんですよね。だからこそ、より質が悪いとも言えますが(笑)。そんな事を言っておきながら、今回最大の名シーンを、足の爪を割るマルコにしてしまうのは、やはり高畑マニアの業でしょうか(笑)。 |
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