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第49話第51話

第50話『走れマルコ!』

図1、痛みを感じる、微妙な表情 旅の醍醐味は人との出会いとは、良く言われています。そして、マルコの長旅を描いたこの作品も、旅の途中で出会う、多くの人達との出会いが、魅力の多くを占めています。マルコが出会った人々は、一緒に旅したり、しばらく世話になったりと、ある程度の時間を共に過ごします。しかし、今回登場するマルコを助ける旅人は、文字通り通りすがり。出番も少ないです。しかしながら、非常に強い印象を残す、名キャラクター。そういう意味でのカテゴリーで言うと、第43話『この街のどこかに』に登場する、盲目の紳士と同様のキャラクターですね。

 そして、この旅人が実に渋い。更には言うと、実に男らしい。何回もこのコラムで言ってますが、こういう最近のアニメではあまり観られない男臭いキャラクターが、三千里の魅力の多くである私にとって、少ない出番ながらも非常に好きなキャラクターです。

 まず何が魅力かというと、1つ1つの行動に、実に旅慣れた雰囲気が醸し出されている事です。大人の男の雰囲気がたまりません。それを一番強く感じるのは、マルコの傷の治療です。まず、傷の様子を見る為に、マルコの足に巻いていた包帯代わりの布を、無造作に焚き火の中に捨ててしまうのが良い。全般的に、この旅人は旅人らしいワイルドさが魅力なのですが、冒頭のこの仕草からして、そういった雰囲気が溢れています。

図2、前回と違い、しっかりとした応急処置 この後の治療は、この手の描写の定番です。西部劇などでもお馴染み、ナイフを火であぶります。ただ、西部劇とかですと、この後熱くなったナイフで、腐った肉を”ジューッ”と焼き切って、やられている方が悶絶していたりする物ですが、ここではそんな過激な事は行われません(笑)。火の熱で消毒したナイフで、マルコの足の傷にたまった膿を出すだけです。ここの描写で素晴らしいのは、マルコが感じる痛みの表現です。アニメに限らず、”痛み”の描写は非常に難しい物と思われますが、ここでは実に見事に表現されています。

 前回では、あまりにも生々しい傷跡を見せる事により、視覚的に痛みを表現していましたが、今回では傷跡は全く見せていません。旅人がナイフを火であぶっている最中の、マルコの緊張した面持ち。『膿を出すだけだ、痛くはないさ』と良いながら、『パンでもかじってな』と本当はある程度は痛いという事が判る旅人の台詞。マルコの目を開き、傷口を見つめる真剣な表情と、ナイフが入った瞬間に見せる微妙な表情の演技が(図1)、傷跡とナイフが画面に映っていなくても、マルコがこの時感じた痛みを、観客はリアルに感じる事ができます。我々が注射をされる時と、非常に似た雰囲気がありますね。

 そして、これまた定番の酒飛沫。アルコール消毒の後、秘伝の軟膏といった雰囲気の薬を塗ります。その後包帯代わりに布を巻いて、治療は終了します。この後のマルコは、ある程度足を引きずりながらも、前回とは違い軽快に旅を続けますが、ここでの治療の描写が的確である為、マルコの調子良さが非常に説得力のある物になっていると言えるでしょう。

図3、渋い、旅人との別れ、格好良い絵だなぁ… 更に旅人は、マルコの靴の応急修理を行ってくれますが、前回のマルコのいい加減な修理と違い、非常にしっかりとした応急処置を施し(図2)、これがまた旅慣れた雰囲気を醸し出しています。ここでの布を縛る、旅人の手の演技が非常に的確なのが、高畑監督らしさを感じますね。この結ぶ描写については、第33話『かあさんがいない』でも書きましたが、アニメーターにとって結構しんどい作業だと思います。でも、こういうところがしっかり描かれているからこそ、リアルな雰囲気が出てくるのだと思います。

 旅人との別れも渋いです(図3)。ここでの台詞が実に良いんですよね。『男の子だ、頑張って行くんだ、但し無理は禁物だぞ』、この台詞も実に男っぽくて、特に後半で声のトーンが落ちるのが実に良いのですが、やはりここは、『旅で助け合うのは当たり前だ』ですね。以前にも書きましたが、高畑作品の名台詞は、いかにも名台詞名台詞した物ではありません。ドラマの中で非常に自然に聞こえる台詞です。この台詞も、『大げさに考える事は無いさ、旅で助け合うのは当たり前だ』というのが1つの台詞になっています。これはドラマの中で自然に聞こえる台詞なんだけど、『旅で助け合うのは当たり前だ』がいわゆる所の名台詞となっていて、この部分が観客の胸に染みます。けれん味が無く、かつ名台詞でもある。実に素晴らしいですね。

図4、非常に良くできた、簡易宿 通りすがりの出会いは、今回もう一つありますね。マルコをツクマンまで馬車で送ってくれる男の、祖父です。マルコが先の事を聞こうとしますが、この老人は耳が遠い。それに気付いたマルコは、『どうもすいません、良いんです』と言いますが、当然のようにそれも聞こえない。結局マルコの方にやって来て、話しをする事になってしまいますが、このはまり方がなかなかユーモラスで、味があります。ほのぼのした出会いが、良い雰囲気ですね。パブロの爺さんとおなじ味わいが、少しありますね(笑)。しかし、この出会いが印象的になっているのは、このシーンの出来の良さと言うよりも、この後の展開による物が大きいと思います。何気ない出会いが、大きな展開を生み出す。その大きな展開の時に、何気ない出会いの、本当の大きさが伝わる、非常に上手い構成と言えるでしょう。

 ここまで挙げた2キャラクターに比べ、彼らより出番が多いはずの老人の孫は、ちょっといまいちな気がします。アメデオを譲れとか、アンナがマルコの顔を忘れているとか、結構たちの悪い冗談が良い、そこから実は結構嫌な奴?、と思わせるところなどは、それなりにキャラ作りがされていると思うのですが、どうも印象が今ひとつです。正直な話し、あまり印象に残らないキャラクターかなぁ…

 でも、この男との旅の描写は、それなりの面白いシーンはありますね。まずは、馬車の下での一泊です。一晩過ごす為に、荷車の下に藁を敷き、その上に牛革をかぶせ、寝心地を考えた寝床を作っています。更に、荷車の回りを牛革で囲い、風よけもちゃんと作っています(図4)。特に演出的にアピールされているシーンではありませんが、運送の仕事に手慣れているのが、キチンと表現されているシーンと言えるでしょう。

図5、ふ菓子のような質感のサトウキビ そして、この男のシーンの一番の見せ場は、やはりサトウキビでしょうな。ドカーンと雄大に広がるサトウキビ畑も素晴らしいですが、それよりもサトウキビを食べるシーンの方が、より魅力的と言えます。慣れた手つきでサトウキビを取り、葉を切り落としてサトウキビを口にしますが、これがまたなかなか美味そうです。さすがグルメ演出家と、またまた唸らされました。本当のサトウキビがどういう食感なのか私は知らないのですが、映像で見ると、ふ菓子に質感が似ているように見えます(図5)。また、はき出す描写があるので、飲み込む事は出来ないのでしょう。

 でも、本当にいつも思いますが、高畑監督の食べ物描写は、本当に素晴らしいですね。このシーンも、見ているだけで甘さが伝わってくる、名シーンと言えるでしょう。名シーンと言えば、今回最大の名シーンですが、『旅で助け合うのは当たり前だ』に尽きますね。この旅人の爽やかさ、男らしさが、感動を呼びます。

 ちなみに、今回もラストは前回と同様、強い引きで終わっています。そして、次回はいよいよアンナとの再会ですね。

©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976

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