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第52話『かあさんとジェノバへ』

 三千里最後の名台詞は、『素晴らしかったんだ、僕の旅』という意見に異論のある方は、少ないと思いますが、どうしてどうして、その後のトニオの『エミリオも来てるぞ』も素晴らしいです。ですから、こっちが最後の名台詞という意見も、決して説得力の無い話しではありません。記念すべき最終回、まずはこの二つの名台詞について、書きたいと思います。

 まず、『エミリオも来てるぞ』。この台詞は、私の友人の三千里ファンが大好きで、ここでグッと来たと言っています。エミリオは、画面に最後登場するのが、第15話『すすめフォルゴーレ号』、しかも台詞等のある実質的な最後が、第13話『さよならフィオリーナ』です(夢のシーンなら最近まで登場しますが…)。現在のようにビデオで観るのならともかく、本放送時は週1回放送ですから、半年以上前のキャラクターです。それがキチンとフォローされているのが、まず素晴らしい。この台詞があるおかげで、観客はエミリオを思い出すことが出来ます。アイスクリームを一緒に作って売った事、ビン洗いの仕事を紹介してくれた事、レナートから金を取り返した事(もっとも、紹介したのもエミリオですが…)、エミリオの熱い友情が、この台詞で観客の心に蘇って来ます。

 思い出されるのはそれだけではありません。この台詞をきっかけに、マルコとアンナを迎えるパーティーには、一体誰が来ているのだろうかと、観客は思いをはせる事が出来ます。恐らくはカタリナが、パーティーのご馳走を用意しているのでしょう。その時には、全てを自分に任せ、ピエトロとトニオには、マルコとアンナを迎えに行くようにそくしている筈です。ジーナも、この朗報は喜んでいるでしょう。しかし、ジーナは仕事があり、仕事が終わってから、顔を出すのではないでしょうか。アンナはマルコから引っ越した事は聞かされているでしょうが、今のロッシ家の家は見ていません。以前に比べ遥かに狭くなった我が家を目の当たりにして、家族の苦労を思いアンナは涙したかもしれません。観客は、こういった情景を、この台詞をきっかけに、色々と想像する事が出来ます。これも、この台詞が素晴らしいからと言うよりは、今まで非常に丁寧にジェノバの人達を描いてきたからなのです。

 次に『素晴らしかったんだ、僕の旅』です。この名台詞も、何回も当コラムで書いてきた通り、これだけで独立して成立する名台詞ではありません。『苦労かけたなぁ』『ううん、素晴らしかったんだ、僕の旅。お父さんが行かせてくれたおかげで』という、流れがあるけれん味の無い自然な台詞で、その中で『素晴らしかったんだ、僕の旅』が名台詞として機能している、三千里らしい名台詞です。マルコの旅が素晴らしかった理由は、当然の事ながら旅の中で出会った人々の素晴らしさです。今回の、アルゼンチンからジェノバへの旅に登場する人達が、その素晴らしい人々なのは当然ですが、それ以外にもそれこそ山のような素晴らしい出会いがありました。その人達と繰り広げられたドラマが、マルコの旅の素晴らしさの理由です。そして、この名台詞の中に、マルコの旅の素晴らしさが凝縮されているのです。これも『エミリオも来てるぞ』と同様に、この台詞が上手く作られているからではなく、今までのマルコの旅の描写が素晴らしいからこそ、名台詞として輝くいているのです。

 最終回は今までの旅を振り返る、全編がエピローグとして構成されています。しかし、これまでのマルコの旅のボリュームを考えると、若干物足りなさも感じるのも、また事実です。私は観た事が無いので知りませんが『ペリーヌ物語』も、最後はエピローグとなって終わっていると、上記の三千里ファンの友人が言っていました。しかも、彼によると三千里のように1話で終わらせるのではなく、4話も使ってエピローグを作っていて、それが非常に充実感のある構成だった事を言っていました。そういう話しを聞くと、三千里も同様にやって欲しかったなと思います。もっとも、ペリーヌの方が後なので、ありえない話しではありますが。

 パブロやフアナとの再会は、ただ列車で通り過ぎるだけなのは、少々寂しいと思いますし、船長とマリオの再会も船ですれ違うだけなのも、同様と言えるでしょう。勿論、リアルに考えれば、ツクマンからジェノバに帰る道程を、最短距離で帰ればこうならざるを得ないとも言えます。であれば、画面で示されている通り、ツクマン−(列車)→ロサリオ−(川下り船)→ブエノスアイレス−(船)→ジェノバ、になります。当然、わざわざパブロ達の住む貧乏集落に足を伸ばす理由もありませんし、ラプラタ川を下るのに、船長とマリオの船を利用する筈もありません。

 しかし、前回で書いている通り、高畑監督の演出法を考えれば、ここはただ解放感を味わってもらうだけのシーンの筈です。であれば、多少リアリティーを損なうにしても、観客が見たいシーンを提供するのが、高畑監督の本来の姿なのではないでしょうか。事実、ペッピーノ一座との再会は、リアリティーを重要視しているとは思えません。ペッピーノ一座が、何故バイアブランカを後にしたのかは、非常に曖昧にしか示されていないのです。しかし、それで良いのでしょう。フィオリーナとの再会という感動のシーンを作る為には、むしろリアリティーは足枷になる可能性もあるからです。モレッティ議員との軋轢があって、結局はブエノスアイレスに戻って来た、とか色々考える事も可能ですが、ここでそれを描いたところで、むしろ鬱陶しいだけでしょう。

図1、ピエトロからの手紙を読む、マルコとアンナ ですから、やはりマルコは、レオナルドコック長の乗る船でジェノバに帰ってきて欲しかったと思います。フォルゴーレ号はジェノバ−リオの船ですので、この船にマルコとアンナを乗せる為には、シナリオ的にリアリティー無視の、超ウルトラCが必要でしょうが、ここはやっぱりやって欲しかった。上記とは別の友人で、もう一人の三千里ファンがいるのですが、彼が最も好きなキャラクターが、レオナルドコック長でしたので、最終回はかなり悶えておりました(笑)。彼の為にも、マルコとアンナの為に腕をふるう、レオナルドコック長を描いて欲しかったですね。

 リアリティーを損なわない部分でも、やはり物足りなさを感じますね。『イタリアの星』での大宴会は、もっともっと見たかったし、出来ればマルコにお金をくれたアルゼンチン人の2人組も見たかった。ロサリオまでの船を手配してくれた、ファドバーニへの挨拶も見たかったし、教会を訪ね、シスターシュプリアナと共に、感謝の祈りを捧げるシーンも、見たかったです。これら人々は、最終回で示されたルート上のにに住んでいますから、非常に自然なエピソードになります。

 さすがに、バイアブランカに寄ったり、ガウチョのカルロスや牛車のマニエル達との再会は、出来ないでしょう。しかし、バイアブランカと言えば、フランチェスコ・メレリが気になります。マルコがメレリを許す儀式として、ブエノスアイレスからバイアブランカへ、アンナと再会できた事を記した手紙を書く描写も、あると面白かったと思います。これも、モレッティ議員宛に送れば、ドメニコを経由してメレリに渡されるのは、それほど不自然ではありませんので、話数さえあれば出来たと思います。

図2、パブロとフアナと再会、そして別れ つらつらと、最終回と言うかエピローグで観たかった映像を綴りましたが、これだけの印象深いキャラクターと、それが生きるエピソードが描かれた、この『母をたずねて三千里』という作品の、人間ドラマとしてのクオリティーは、やはり圧倒的と言わざるを得ません。恐らく、三千里を全話ちゃんと観ている方は、今までの私が挙げた、最終回には登場しなかった人物を、ありありと思い出す事が出来ると思います。彼らだけではありません。ビン洗いのジロッティ、嫌味なロハスばばあ、コルドバの盲目の紳士、ロバのばあさま、ありとあらゆる人物(動物もいますが)が、言われれば全てを思い出す事が出来ます。

 高畑作品は、どの作品も人物描写の力において、非常に高いクオリティを誇っていますが、ここまで多くのキャラクターが、ここまで観客に強い印象を与えるという意味では、他の高畑作品ではさすがにここまで到達しているとは言えず、この点において高畑作品の中でもトップであると、言い切ってしまっても良いでしょう。ですから、『三千里が高畑勲の最高傑作』という、しばしば見られる意見には、私は賛成です。高畑作品内に留まらず、こと人間ドラマにおいては、アニメーションにおける人間ドラマの地平線、と評価するのにすら、やぶさかではありません。更には、あらゆる作劇において、人間ドラマの最高峰の1つとまで評価したいのが、私の偽らざる心境ですが、さほど読書家という訳でもなく、まして映画は嫌いでほとんど見ない私が、ここまで断言するのは、いささか傲慢かと思いますので、ここら辺で矛を収めたいと思います(笑)。

図2、万感の想いで抱き合う2人 ここまで書いて思いますが、最終回そのものの評価ではなく、今まで三千里が積み上げてきた物の評価となってしまいましたが、これが高畑監督の演出意図なのでしょうから、これで良いのだと思います。さて、最後の、この回最大の名シーン、です。メキーネス家の庭で、ピエトロからの手紙を読む、マルコとアンナのシーンですが、これは非常に良いシーンです(図1)。特にピエトロの声に変わってからが良いですね。手紙の文面も良いですし、川久保潔の演技も素晴らしいです。そして、ここでの音楽は、私が三千里で一番好きな曲ですので、非常に好きなシーンであります。

 かつての旧友との出会いでは、パブロとフアナの再会が一番良いです。これも音楽の力が大きく、哀愁を含んだメロディーが心に染みる名シーンと言えるでしょう(図2)。しかし、ここはやはり、万感の想いで抱き合う、ピエトロとアンナを挙げたいと思います。最低限の言葉しかを発さずに抱き合う2人姿には、涙涙また涙なマルコとの再会とは違う、大人の味わいがありますね(図3)。

 さて、始める時には一体どうなるかかと思った、三千里全話コラムですが、何とか最後までやり遂げることが出来ました。ホッとしたというのが正直な感想です。残念ながら、ヒット数的にはあまり満足出来ない結果になりました。最大の原因は、私の筆力なのですが、20年以上も前に終わってしまった作品を取り上げていた事も、少しはあったのかなと思います。実際、『千と千尋の神隠し』のDVDの問題を取り上げていたときには、通常の3倍くらいのアクセスがありましたので、やはり現在進行形の作品を扱う方が、この点では有利なのだと、実感できました。ただ、『高畑勲ネット』の名前を掲げている以上は、これでアクセスが伸びるのも、少々複雑な気持ちになりましたけど(笑)。

図3、このウルウルした目がまた… しかし、以前作っていた身内だけが集うホームページと違い、少ないながらも顔も知らないお客様に、読んで頂けた事については、非常に嬉しかったです。読者の皆様には、心より感謝したいと思います。本当にありがとうございました。ホームページのタイトルとURLから、高畑勲監督のオフィシャルホームページと勘違いされるというトラブルもありましたが、これはちょっと冷や汗物でしたね(笑)。

 最後に1つだけ、最終回最大のベストショットを(図4)。これは、アニオタとしては決してはずす事が出来ません。最後の、(;´Д`) フィオリーナタン ハァハァという事で(藁。

©NIPPON ANIMATION CO.,LTD. 1976

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