さてさて、今回は前回以上に原作と同じです。この連載の、原作との違いをピックアップして高畑監督の作家性を探る、というアイデンティティーが早くも崩壊してしまいそうです(笑)。何とか重箱の隅をつつくように違いを見つけて、何とかしたいと思います。果たしてそんな事に意味があるのかどうかについては、目をつぶることにして…(笑) 小説を素直に映像化して、その作品が面白くなった場合、映像化スタッフの仕事も評価するもの当然ですが、原作に対する評価をおろそかにする事は出来ないでしょう。アニメになってみると特によくわかりますが、今回での初めての山で起こるエピソードの数々は、質、量、ともに非常に優れた物だと言えるでしょう。私が特に印象深いと感じたエピソードは、2つありまして、まずは昼食のシーンです。アルムおんじが、2人の弁当をペーターに持たせますが、大きいのがハイジで小さいのがペーターです。ハイジよりも年齢が上で、しかも男の子ですから、ハイジよりずっと早く食べ終わってしまいます。そして、物欲しそうにハイジの食事を見ているペーターに、ハイジはパンとチーズをあげます。つまり今後もしばしば見られる、ペーターの食いしん坊キャラ振りは、スピリの手による物です。 もう1つ挙げますと、アトリが崖から落ちそうになるエピソードです。崖から落ちそうになるアトリをハイジが草で助けるのも、罰としてペーターがアトリをぶつのも同じです。食い物を餌にペーターにやめさせるのも同じですが、このシーンでのポイントは、今後のチーズとパンを餌に、アトリだけでなくすべての山羊をぶたないよう約束させる、ハイジのタフネゴシエーター振りです(笑)。 初めはハイジがアトリをぶたないように、説得しているわけですから、交渉の主導権はペーターが握っています。そして、ペーターはそれをいかんなく利用し、今後のパンとチーズの入手に成功します。ところが、ハイジがペーターの要求をのんだ瞬間に、ハイジが動きます。アトリだけでなく全てのヤギをぶたない事を、突如交渉のテーブルに乗せてくるのです。本来であれば、アトリをぶたない事と、パンとチーズが交換条件だった筈ですが、ここで全てのヤギをぶたない事と、パンとチーズが交換条件になってしまいます。ここで、いつのまにか交渉の主導権は、ハイジに奪われてしまっているのです。以上の2つのエピソードから、2人の関係の設定が決まってしまいます。ペーターはずっとハイジの尻にしかれ、交渉事があれば、常にハイジがイニシアチブを握ります。ペーターはただ、唯々諾々とハイジの要求を飲むしかなくなり、時にはペーターがもらった食べ物さえも、まるで犬のように”オアズケ”をくらったりして、まるで奴隷のようになってしまいます(笑)。この2人の関係が、後々まで非常にユーモラスな雰囲気を醸し出、非常に楽しいシーンを作り上げていく事になるのです。 後、別の意味で原作どおりで気になったを、同じく2つほど。ハイジは朝起きて、アルムおんじに言われて顔を洗いますが、顔をこすりすぎて、鼻と頬が赤くなってしまいます。(図1)これは原作にしっかり書かれていますが、映像だと花と頬に何かついているみたいで、一瞬汚れに見えます。これは、小説と映像の特性を考えて、省略してしまった方が良かったと思います。 もう1点は、ハイジのエプロンです。この回では、ハイジの花摘みが重要なエピソードです。原作にも、摘んだ花はエプロンに包んでもって帰ってきますので、ハイジがエプロンをしないわけにはいきません(図2)。しかし、ハイジがエプロンをするのは、私の記憶ではほとんどありません。つまり、今回特別にエプロンをつけているのです。小説でしたら、エプロンをつけている描写があれば、当然エプロンをつけている事になりますが、エプロンをつけている描写が無いからと言って、必ずつけていない事にはなりません。しかし、映像ではつけているかつけていないかが、確定してしまいます。ですから、今回のエプロンの件は、ストーリーの為に特に必然性も無しにエプロンをつけたという事になり、若干不自然な印象を観客に与えてしまっています。ただ、これは別の対処法が思いつきませんし、仕方が無い事なのかもしれません。さて、今度は原作と違う部分を挙げたいと思います。冒頭に書いた通り、重箱の隅を突付くようになってはしまいますが、細かいながらもやはり存在し、そこにはやはり高畑監督らしい解釈を垣間見ることが出来ます。 まずは比較的に軽いものから。暴れん坊は原作ではダッタンになっています。まぁこれは、アルムおんじのヤギがスワンからシロになっているのと同じで、判りやすいからでしょう。ペーターが、花畑に夢中なハイジの気をひくために、鷹、大きな角の旦那(アイベックス)、かわいいの(マーモット)で釣りますが、原作では鷹のみです。ここら辺は、アルプスの山の雰囲気を出す為に、動物を増やしたのでしょう。ちなみに原作での鷹が登場する理由は、アルムおんじの鷹のような生き様を示す為でもあります。雰囲気作りという点では、アイベックスやマーモットの方が味が出ますよね。余談ですが、こういう動物の事をネットで調べると、毛皮屋にしばしばあたってしまうのには、ちょっと苦笑してしまいます。また、ペーターが山羊から直接乳を飲む事は、原作ではアルムおんじの台詞で説明してありますが、アニメでは直接そのシーンを見せています(図3)。これもこっちの方が楽しいですね。次に重要な違いの方を挙げます。まずは山を登ってからのペーターの行動です。横になって休むのは、アニメも原作と同じですが、理由は違います。原作では山登りの疲れを癒すためですが、アニメでは朝早くから村から山羊を連れて回っているからという事に修正されています。これはナレーションで語られていますが、非常にハードな仕事である事がわかり、ペーターに休息が必要な事が見て取れます。ペーターの描写とかぶりますが、ハイジが帰ってきた時に、仕事をしているアルムおんじが良いですね。原作では、文章の描写は特に無く、挿絵で椅子に座ってパイプをすっている姿が描かれています。 スピリの原作では、キャラクターの仕事に関して、特に細かい描写があるわけではありません。前回のコラムにも書きましたが、アルムおんじについても、何をして食っているのかが、原作では全く示されていないのです。この、人の仕事についてしっかり設定してあるところが、実に高畑監督らしいところで、これがまたキャラクターの人間像に厚みを与えているのです。しかし一番大きな違いは、エプロンに包んで持って帰ってきた花が、萎れているのに気付いたときのハイジです。ここでの萎れてしまった原因を教えるアルムおんじの台詞は、両方ともほぼ同じなのですが、その後が違います。原作では以下のようにあっさりと描かれています。 「ああ、おじいちゃん、どうしちゃったのかしら?」ハイジはびっくりして声を上げました。「こんなじゃなかったわ、どうしてこんなになっちゃったの?」しかしアニメでは、萎れてしまった花を見て、ハイジは強く心を痛め花に謝ります。そして、美しい音楽が流れ、画面も散る花が非常に美しく描かれています。原作であっさりと描かれているシーンを、しっかりと作り直し、観客の胸を打つ名シーンに仕上げてますね。ハイジの心の優しさに気付くアルムおんじのカットが、ほんのちょっとだけ入っているのも、また渋いです。 最後に、映像の事を少し。ハイジとペーターが山を登るシーンは、主題歌をバックに止め絵で表現されていましたが、これがまた凄かった。レイアウター宮崎駿のスーパーレイアウトの数々。止め絵なので、動きが無いシーンよりも凝ったレイアウトが出来たのでしょうが、本当に素晴らしいです(図4、5)。私は宮崎駿を世界一のレイアウターだと思ってますが、もう神域に到達していると言っても、過言ではないでしょう。 映像の話しをもう1つ。今回のハイライトは、当然夕日を浴びるアルムの山々なのですが、色合いがそんなにきれいではないと感じました。ちょっと古びているのでは無いでしょうか。このシーンだけでなく、30年前の作品ですから仕方が無いと思いますが、他のシーンでも画像がぶれたり、音と動きがあって無かったりと、少々気になるところがあります。この夕日のシーンの、TV放映時のオリジナルの色は、どうだったのでしょうか。もしかしたら、原色に近い色だから、劣化が激しいのかもしれません。ところで、ここでアイベックスとマーモットがハイジの前に初お目見えしますが、山を登るアイベックスが姿が非常に感動的ですね(図6)。 |
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