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第4話第6話

第5話『燃えた手紙』

図1、怒るペーターに、キョトンとするハイジ ピッチーエピソード第2話。つまり、原作に無い話しです。ですのでこの連載のテーマとしている、原作との比較は行えなません。テーマ誤ったかなぁ…(笑)思ったより原作とは違うのですね(汗)。ですので、三千里コラムの時のような書き方になってしまいますね。

 今回について思うのは、三千里でもしばしばあった、高畑監督作品らしいストーリー性の薄い回という事です。ピッチーと初めて山に登ったり、ピッチーが鷹に襲われそうになったり、霧の中を迷ったり、デーテから手紙が届いたりと、エピソードには事欠きませんが、これが1つのストーリを成しているかと言うと、あまりそういった印象は持てません。勿論、エピソードは整然と流れてはいますが、それが1つにまとまっていると感じはしないです。

 比較として、今まで取り上げた回で、最も原作に近かった第3回『牧場で』を見てみましょう。この回には、ハイジの花摘みや、燃える山などのエピソードがありますが、これは、ハイジが初めて山に登り、色々な感動的な出来事に遭遇する、という1つのテーマがあり、エピソードはそれを表現する枝葉となっています。またそれだけでは無く、原作でのおいてこの話しは、ハイジが山の事を好きになった事を示す、唯一のエピソードです。(この次にはペーターの祖母に会いにいく事は、前回書きました)つまり、原作全体としても、”明示的”に重要なストーリーなのです。そして、それをキチンと示したからこそ、原作では次のストーリーに移っていくのです。

 しかし、アニメの方は違います。ハイジが山を好きになったエピソードを示した後も、”暗示的”に示していきます。ひたすらエピソードを積み重ねているのです。それにより、アルムの山の魅力や、ハイジがどれだかアルムを愛しているかだけでなく、ハイジを取り巻く人々にとって、ハイジがいかに大切な人であるか、その心を観客に伝えているのです。それ単体では、それほどストーリー的魅力があるわけではないエピソードが、沢山積み重なることによって、作品のテーマを際立たせる、高畑監督らしい手腕を見る事が出来ます。絵画に例えれば、白い猫を描くのに、猫本体を白く塗るのではなく、背景に色を着け白を際立たせる、と言うのが適当でしょうか。しかし、恐ろしく手間を食うやり方でして、少なくともアニメの世界で、この手法をここまでやっている人は、ちょっと思いつきません。

図2、らしからぬ凛々しい表情のペーター ハイジを好きになるハイジの周りの人々、という意味では、今回の主役は明らかにペーターです。ナレーションで、ハイジが山に来ないからいらついている事や、来た時に本当に嬉しかった事が語られています。非常に判り易いですね(笑)。ナレーションと言えば、ハイジ、三千里、アンの高畑三部作の全てが、その意味合いが違います。ハイジは、小さな子供の心理描写理解の手助け、三千里はナレーション抜きでの表現、アンは1種の演出手法アンの情熱的性格とのコントラストです。ただ、ハイジの場合も決してナレーションに逃げている訳ではないので、ナレーション抜きでも何が描かれているのかちゃんと判ります。と言いますかナレーションは、多くのハイジファンがそう感じているでしょうが、正直鬱陶しいです(笑)。

 そういう回ですから、観客の視線は当然ペーターに行くわけなのですが、これが実にペーターらしくて良いです。思わず、ニヤニヤしながら観てしまいました。冒頭の1人の時は、つまらなそうな顔をしているのに、ハイジとあった時だけ妙に攻撃的になります。構って欲しくてしょうがない気持ちが、良く伝わってきます。ユキに八つ当たり(?)をしたりして、拗ねるペーターがかなりラブリーですね(笑)。アルムおんじの山小屋の前では、怒って見せたりしているのに、ハイジに気に掛けて貰えなかったりして、更に怒ったりするところが良いのですが、やはり1番良いのは山の上でのペーターでしょう。

図3、ハイジに抱きつかれ、照れるペーター ハイジが山に登ってきて、本当は嬉しいくせに、初めはそっけない態度を示したりとか、アルムおんじへの手紙を渡し忘れて事を、ハイジに責任転嫁したりとか、色々やりますが、結局ハイジに『何怒ってんの?』とあっさり言われてしまう始末(図1)。挙句、お弁当を渡されて、あっさりと懐柔されてしまいます(笑)。そしたら急に、今まで恨みの対象であったピッチーに対し、可愛いとまで言ってしまい、『おい、今までの怒りはどこに行ったんだ?』と突っ込まずにはおれません(笑)。一体どっちの方が年上なのか、判ったものではありませんね。こうして、ハイジは常にペーターに対して、優位をキープしているのです。

 ペーターが良いのが、ただそれだけでは無く、非常に男らしいところも見せてくれるところです。今回のペーターは、実に男の子していて良かったです。まず1つ目は、鷹からピッチーを守るペーターです。とっさに石を投げたり、服を脱いで追い払おうとしたり、最後に体当たりで鷹を退けるのも、なかなか格好良いのですが、1番良いのが鷹を見つけ、ピッチーを狙っているのに気付くところですね(図2)。前回の嵐の前兆に気付くペーターもそうなのですが、ペーターのこうした山慣れしている雰囲気が、私は非常に好きですね。年齢はかなり若いのに、山羊飼いのプロという感じがします。こういう格好良いところを見せた後、ハイジに感謝されて照れるペーターが、格好良さとのギャップが有り、楽しいです(図3)。まぁ、こうやってペーターはハイジに飼い慣らされていくのですが…(笑)

図4、霧の中に消えていくペーター 山慣れしていると言えば、もう1つ格好良かったのは、道に迷ってからのペーターです。いえ、ほんの些細なところなんですけどね。2人がピッチーに夢中になってしまって、シロ、クマ、ユキが行方不明になり、霧の中を捜しに行って3匹とも見つかったのは良いのだけれど、2人が渡って来た丸木橋に戻る筈が見つからず、今度は2人が道に迷ってしまいます。霧の中、ペーターが見えなくなった程度で、パニックに陥ってしまうハイジと違い、ペーターは終始冷静です。

 そこで、焦ってうろつけば逆に危険だと、ペーターはその場を動きません。また、他の山羊達をハイジは心配しますが、ペーターはハイジ同様心配である事を告げますが、仕方が無いと実に諦めが良いです。この時のペーターの行動が、またまた山慣れした雰囲気を出していまして、些細でな事ではあるのですが、非常に格好良いと感じるのです。この遭難している間、終始冷静なのが良いですね。むしろ、無事ヨーゼフに助けられた後、アルムおんじに睨まれている時の方が遥かに動揺してまして、『お前は遭難よりアルムおんじのほうが怖いのか』と、またまた突っ込まずにはいられません(笑)。

 ところで、この霧のシーンが、妙にユーリ・ノルシュテインの『霧につつまれたハリネズミ』に似ていると感じるのは、私だけでしょうか(図4)。『アルプスの少女ハイジ』は1974年、『霧につつまれたハリネズミ』1975年の作品ですので、偶然の一致だとは思いますが、高畑監督はノルシュテインの大ファンですから、面白い偶然だと思いますね。

図5、ハイジへの気持ちを噛み締めるおんじ。 さて、今回はペーターにとってのハイジを観客に知らしめる話しだと書きましたが、最後の方でアルムおんじにとってのハイジについても、少しだけ描かれています。デーテの手紙がそれでして、これは後日デーテがハイジをフランクフルトへ連れて行ってしまう事の伏線でもあるのですが、今回ではアルムおんじにとって、ハイジの存在が掛け替えの無い物になっている事を示しています。これもちゃんとナレーションで説明してくれていますので、間違いないです(笑)。アルムおんじにとってのハイジは、今後たっぷり描かれますが、とりあえず今回は、ハイジの台詞『今日ねぇ、おじいさんが迎えに来てくれて、とっても嬉しかったの、おやすみ』ですね。この一言が、アルムおんじのハートに突き刺さった事が、観客に良く伝わってきます(図5)。今回はこれだけですが、今後はもっと出てきます。

©ZUIYO

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