| 今回も前回同様、ストーリー性の薄いエピソードの積み重ねを行っている回です。いくつかのエピソードがありますが、1つのストーリーとしてのまとまりを、あまり感じる事が出来ません。しかし、高畑作品の不思議なところなんですが、こんな話しでも(もちろん前回も)非常に面白いんですよね。高畑監督は、どのような経緯でこのような作品作りを考えてきたのでしょうか。 高畑監督のデビュー作と言えば、それ以前に『狼少年ケン』の演出等もやっていますが、やはり『太陽の王子−ホルスの大冒険』になるでしょう。この作品には、明確に映画らしいダイナミックなストーリーが存在します。悪魔グルンワルドがいて、村を滅ぼそうとしている。グルンワルドは手下のヒルダを使い村を内部からも攻撃するが、ホルスを中心とした村人たちは、太陽の剣を鍛え、遂にグルンワルドを倒し、またヒルダも改心する。このように、古典的な勧善懲悪のストーリーの骨組みを持っています。確かに、労働描写、心理描写を非常に大切にする、高畑流は伺う事が出来ますが、ストーリーの骨組みはしっかりとしています。 次の作品となると、『パンダコパンダ』と『パンダコパンダ−雨ふりサーカス』になります。これは、原案・脚本・画面設定が宮崎駿になっており、作品を観た印象では、高畑作品と言うより、宮崎作品のように感じます。実際、私が持っているDVDのパッケージも、宮崎駿が先にクレジットされており、高畑監督はその後です。ただ、この作品はホルスよりもストーリー性が薄く、そういう意味では、ホルスよりその後の高畑作品に近いと言えるでしょう。しかし、ハイジにみられる文学性は、この作品ではみる事が出来ません。ハイジは、骨組みとなるストーリーではなく、描写で観客に訴える、高畑流が完成した作品である事は、以前にも書きましたが、ホルス→パンダコパンダ→ハイジの流れからでは、やはりハイジで見られる文学性の完成度は、やはり唐突な印象を感じてしまいます。ですから、高畑作品はハイジから始まる、という考え方も有りだと、私は考えています。高畑作品に文学性を感じているのは私だけではなく、大林宣彦監督も『火垂るの墓』のLDの解説で書いてます。 純文学の映画化には、アニメーションが最適である、この自明の理が《火垂るの墓》以前には、誰も自明の理だと気付かなかった。 ところで、『火垂るの墓』LDの大林監督の評論は、数ある高畑勲評論の中でも、特に優れた物だと思います。高畑作品の文学的性質は、ハイジから始まりそれからエスカレートしていき『火垂るの墓』がその究極になりますが、出発点という意味でも、ハイジという作品は非常に貴重です。何故ハイジで、唐突に(少なくとも私にはそう見える)文学調が顔を出してくるのかは、正直謎ですが、この高畑流の原点とも言うべき作品に、高畑監督が当初は乗り気でなかったことは、非常に面白いです。ハイジのLDの解説を引用します。
高橋さんは『ムーミン』のシリーズ化を実現したプロデューサーで、児童文学のアニメーション化に意欲を持ち、当時『山ねずみロッキーチャック』を制作中、『ハイジ』の企画も高橋さんのものでした。私ははじめてお会いした高橋さんに、なぜ、実写でやるべき『ハイジ』をやろうとするのか、普通に考えれば、確かにハイジはアニメーション向きの題材ではありませんから、高畑監督の反発は当然といえますが、結果を見ればこの企画が大成功であることは、疑う余地もありません。しかし、気になるのは高橋茂人社長の判断です。この人は、ハイジの権利問題のすったもんだで、あまり良い評判を聞きませんけれど、何故高畑監督にこの話を持ってきたのでしょう。結果論ですが、英断であった事は間違いありません。アニメ業界ではプロデューサーのインタビューは、元々珍しいですし、評判が悪い事もあってか、まるで話しが聞こえてきません。当時のスタッフにとっては、不愉快な人物なのかもしれませんが、観客からすればそんな事は、あまり関係ありませので、1ファンとして、高畑監督に白羽の矢を立てた理由を、是非とも知りたい思いますね。やはり高橋社長は、高畑監督の実力を見抜いていたのでしょうか。 さて、本編のエピソードを追っていきたいと思います。今回のエピソードは、大まかに言えば以下のようになるでしょうか。・朝やぎを集めるペーター。 ・おんじ山を降りて一騒動。 ・乳絞りと口笛を覚えるハイジ。 ・ペロペロキャンディー。 この中で、一般的な見所と言えるエピソードは、”乳絞りと口笛を覚えるハイジ”でしょう。私は特に、チーズとパンでペーターを恐喝するハイジに、激しく心を揺り動かされました(笑)。そして、それに唯々諾々と従うしかないペーターも、またまたラブリー。後、乳搾りのとき、椅子からスカートの裾を引く仕草が、非常に可愛らしかったです(図1)。口笛も素敵なエピソードです。ハイジの口笛も可愛くていいですが、やはり私好みから言えば、アルムおんじの口笛ですね。ハイジやペーターよりも、はるかに上手な口笛が実に格好良い(図2)。口笛だけでこんなに格好良いなんて、さすがアルムおんじ(笑)。 しかし、私としては注目したいのは、”朝やぎを集めるペーター”と”おんじ山を降りて一騒動”です。ペーターの仕事の大変さは、第3話『牧場で』のナレーションで語られていますが、それが映像で示されています。こうやって、少しずつ話数をかけて、ハイジとハイジの回りの人達が、どういう生活をしているのかが、積み重ねられているのです。原作には無い、人間像の厚みが表現されていますね。 アルムおんじのエピソードにしても同様です。今までも村人達の噂から、嫌われ者だという事は判りますが、今回それが具体的にどういう物なのかが、示されています。いやはや、これは嫌な奴ですなぁ(笑)。あんなひねくれ者、嫌いにならない方がどうかしています。こうやって、アルムおんじの人なりが、積み重ねによって表現されているのです。ここで、後の話しで重要な役割を演じる、牧師が登場しているのが、また渋いです(図3)。余談ですが、このシーンでの、パン屋と喧嘩した後の、孤独感溢れるアルムおんじの表情がなんとも言えない味わいがありますね(図4)。そんな表情を見せるアルムおんじですが、山小屋に戻ってきて、ハイジに会うとガラリと変わります。この表情の変化で、アルムおんじにとってのハイジの大切さが表現されています。ここで、お土産のペロペロキャンディーが出てきますが、当然ハイジは大喜びなのですが、この喜ぶハイジについて、高畑監督は大人に都合の良い子供である事を、インタビューで語っています。 「ハイジ」で、おじいさんが村からペロペロキャンディを買ってきてあげるとハイジは「わーいわーい」とものすごく喜ぶシーンがあるのですが、こんなありがたい子供はいないわけですよ。大人にとって、いや万人から見て、こうあって欲しいという子供ですよね。ぼくはそういう子供の造形は「ハイジ」限りにしたんです。しかし、これはちょっとひねくれ過ぎな気がしますね。子供は甘い物が好きですし、ずっと山の生活をしているハイジは、そういった物を口にする機会があまり無いわけです。そういう子であれば、ペロペロキャンディーのお土産は、普通に喜ばれると思いますので、ちょっと極論だと思います。どうも高畑監督の思考には、こういう傾向があるような気がしますね。 ところで、ハイジのOP、EDソングには、現地録音のヨーデルが使われているのは、非常に有名な話しです。しかし、BGMにまでヨーデルが使われている事は、案外知られていないのではないでしょうか。今回初めてBGMで登場していますが、高畑監督の音楽好きを知る者からすると、思わずニヤリとしてしまいますね。 |
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