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第6話第8話

第7話『樅の木の音』

 最近ストーリー性の薄い回が続きましたが、今回はストーリーの骨組みを感じる話しになっています。その理由は簡単、原作にあるストーリーだからです(笑)。と、言いたいところなのですが、実はそれほどシンプルではありません。原作ではアルムの山での生活はあまり描かれていなく、初めてハイジがアルムの山に登る話しの次には、ペーターの祖母に会う話しに飛んでいる事は、以前にも書きました。今回の話しは、原作でのペーターの祖母に会う章の、冒頭の約2ページが元になっています。原作のあらすじを書きます。あらすじと言っても、この章の本筋はペーターの祖母ですので、状況説明と言う程度の物です。

 夏も終わり秋になり、風が強くなった事を理由に、ハイジはアルムおんじに山に登る事を控えるように言われます。しかし、山小屋での生活も、チーズの作り方を教わったりして、楽しい物でした。風が強くなった所為で、ハイジはもみの木の音が好きになります。

 原作はこれだけですが、アニメになると、↑が↓になります。

図1、ミルクの表面の質感が見事! 乳搾りも口笛も上手くなり、すっかりハイジは山の子です。秋も近づいたある日、山の上で強い風に吹かれたハイジは、危うく谷底に落ちそうになります。その話しを聞いたアルムおんじは、ハイジに山に登る事を禁じます。翌朝、ペーターにその事を告げますが、ハイジにすっかり慣れた、ユキとアトリはなかなか言う事を聞きかず、ようやくペーターが連れて行きます。ハイジは、アルムおんじと約束した通り、チーズ作りを手伝いますが、火にかけたミルクの攪拌を、ハイジはやらせてもらいます(図1)。ハイジが上手にこなす様子を見て、アルムおんじは干草を取りに外へ出て行ってしまいます。一生懸命働くハイジですが、そこに何とユキが山から降りて来てしまいます。ユキをペーターのところまで連れて行くため、ハイジは山に登りますが、ペーターは言う事を聞かなかったユキに、罰を与え今まで甘やかしてきたハイジを罵ります。すっかり落ち込んで山小屋に戻るハイジですが、そこで見た物は、焦げたミルクをナイフで掃除するアルムおんじでした。言われた事を忘れ、火をかけたまま出かけてしまったハイジを、アルムおんじは責めません。しかしハイジは、自分の甘さを恥じ涙します。失敗から学んだハイジは、翌日甘えるユキやアトリに厳しく接し、チーズ作りを最後までお手伝いします。ハイジは学び、また1つ成長したのでした。

図2、沸騰するミルク! 僅かあれだけの話しを膨らませて、これほどにまでに仕上げているのです。ですから、原作に忠実=ストーリー性がある、と単純に言えない理由がお判り頂けると思います。他の多くの有名なアニメ監督と違って、高畑監督はストーリーテラーとはあまり呼べないと思われます。今までのハイジコラムで取り上げた回で、原作に無い話しの場合、散文的にエピソードがあるだけで、ストーリーの骨格がしっかりしている物が無かった事は、既に書きました。アニメの監督も、小説家などと同様の作劇家の一種ですから、いくらストーリー性の薄い話しを、演出だけで魅力的な物する力があるとは言え、これを高畑監督の作劇家としての欠点と言う事は、やはり可能であると言えるでしょう。

 しかし、ほんの僅かな骨組みさえあれば、1つのストーリーに仕上げられる力がある事が、今回で明らかになっています。上でも書いていますが、元は僅か2ページです。これだけの骨格しかない、ストーリーと言うよりは、状況説明と言う方が適当な物に肉付けをして、1つのストーリーに仕上げる手腕は、他のアニメ監督では恐らく見る事が出来ない物でしょう。恐るべしとしか、言い様がありません。

 この骨組みとなるストーリーが、ある時と無い時の高畑監督の違いは、劇場版作品の時にも同様の特徴が見られ、『火垂るの墓』のように、しっかりとした原作がある場合と違い、『平成狸合戦ぽんぽこ』のようにオリジナル作品の場合では、散文的な印象が見受けられます。

図3、ハイジを一瞥するアルムおんじ、深みのある視線です そして、今回の原作から修正された部分が、高畑監督の特徴が非常に色濃く出ていると言えるでしょう。高畑節が存分に味わえ、私は非常に好きですね。1つは現実の厳しさ、もう1つは成長物語です。

 現実の厳しさを感じるエピソードは2つあります。まず1目つは、ユキを打つペーターです。ペーターはハイジと、パンとチーズを交換条件に、悪さをしたヤギを打たないよう第3話『牧場で』約束をしました。しかし、脱走という許しがたい行為を企てたユキを、ペーターはハイジとの約束を反故にして打ちます。当然ハイジは止めようとしますが、アルムおんじが許可している事を告げ、ペーターはユキを打ち続けます。そして、ハイジの甘さが原因であった事を、ペーターに強く言われ、ハイジはショックを受けます。

 いくらハイジが可愛がっていたとしても、ユキは家畜にしか過ぎません。ヤギ達を可愛がりたいハイジの気持ちは、ヤギが村民達の財産である事実から見れば、大した物ではないのです。ハイジの甘い気持ちが、完全に否定されるという意味で、実にリアルな描写で、これが非常に高畑監督らしくて良いですね。ただ、ハイジを責めるペーターですが、食欲に流され、ハイジの甘さを容認していたわけですから、こちらも無罪と言うわけにはいきませんが(笑)。

図4、自分の失敗を恥じ、涙するハイジ もう1つの現実は、ミルクを焦がしてしまうハイジです。大人の視点から見れば、自分でそう言っている通り、あんな小さな子供に火の番を任せた、アルムおんじが悪いのは明白です。山小屋が燃えてしまってもおかしくないと思われますので(図2)、むしろ鍋が焦げただけで済んだのは、アルムおんじの失敗に比べれば、むしろ被害は小さかったと言えるでしょう。

 しかし、子供の視点で見ればそうは解釈されません。私は本放送でのこの回を覚えていますが、帰って来たハイジを一瞬見るアルムおんじに、非常に強い印象を持っています(図3)。恐らく、当時観ていた子供達は、私同様この瞬間”アルムおんじに怒られる!”と感じたと思います。しかし、予想に反してハイジは叱られません。ですが、叱られないからこそ、ハイジは自分の失敗をより強く感じ取り、深い悲しみをかみ締める事になるのです(図4)。ここでの、ハイジを一瞥するアルムおんじが、本当に素晴らしいです、最高ですね。子供の観客には、怒られるのでは?、という恐怖感を感じ、大人の観客には、非常に深みのある眼差しを感じる事が出来ます。この後のシーンの、自分の失敗を涙するハイジと、あくまで優しいアルムおんじも、また味わい深いですね。

 とまあ、このような2つの出来事から、ハイジは成長します。そして翌朝には、ユキやアトリに厳しい態度を取れるようになっています。全然迫力の無い凄み方が(図5)、非常に楽しくはありますが(笑)。高畑監督は成長物語が好きなようでして、多くの作品がこれにあたります。高畑監督の残る名作劇場の、『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』もそうです。劇場作品では、『セロ弾きのゴーシュ』『おもひでぽろぽろ』がそうですね。

図5、アトリに厳しく接するハイジ、迫力が無いところが可愛いっす! 高畑監督の成長物語好きは、『セロ弾きのゴーシュ』に特に表れていると言えるでしょう。『赤毛のアン』もその傾向は強いですが、この作品は原作が元々成長物語ですから、原作との差異がある『セロ弾きのゴーシュ』を挙げる方が、より適当といえるでしょう。こちらの作品は、宮沢賢治の原作では、ゴーシュはうだつの上がらない中年楽団員となっていますが、映画では未だ未熟な青年楽団員となっています。そして、動物達との交流から、青年はより大人になると言う、非常に爽やかな青春映画として、仕上がっています。成長物語好きは、高畑監督を語る上で、非常に大切なキーワードでして、私が大好きな部分でもあります。『セロ弾きのゴーシュ』も良いですが、『赤毛のアン』のアンがクイーン学院を目指す辺りとか、『おもひでぽろぽろ』のタエ子のクライマックスでの心の変化とかも、私は大好きです。

 今回は、こういった高畑監督の好きなところが、しっかり出ていて、非常に印象に残る回でした。そして、最近の話と違い原作にある話しで、比較が出来たおかげで、コラムが書きやすかったという意味でも、非常に嬉しい回でしたね(笑)。いや、毎週コラム書くのは、結構辛いんすよ(苦笑)。

©ZUIYO

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